DAY 3
ポンペイ・ローマ
今日はポンペイの観光です。
ポンペイは昨日、アマルフィからの帰りに通過して来た場所だったりして、比較的近いです。
なので、9時過ぎに出発と、比較的のんびりです。
今日からはホテル移動なのですが、既にスーツケースがかなり重いです💦
遺跡観光の前に、まず入口近くのカメオ工房の見学です。
職人さんが細かい作業の実演を見せてくれ、女性が色々と説明してくれます。
もちろん説明の後に購入タイムが設けられています。
日本円も使えますよ~なんてアナウンスもあり、恐る恐る覗いてみると、かなりお手頃な数千円の物もあって安心。
貝の色や大きさ、彫刻の精密さでお値段はだいぶ変わるようです。
3000円くらいの花柄のカメオを購入。
ちなみに、この時はちょうど€1=\100というミラクルなタイミングでした!
ポンペイ遺跡の中に入ります。
紀元前8世紀にオスク人によって創建された街です。
予兆である紀元62年の地震の復旧作業が続く中、紀元79年8月24日にヴェスヴィオ山が大噴火します。
3日間続いた噴火に人々は逃げる事が出来ず、6m以上の火山灰に覆い隠されてしまった映画にもなった「悲劇の街」として有名です。
まだ発掘されて250年くらいしか経っていないというのも驚きです。
ここがポンペイの主要入口となるマリーナ門です。
偶然にも、飛行機の中で映画『テルマエ・ロマエ』を観てしまったが故に、変にテンションが上がっています。
すっかり悲劇の街だということを忘れています…
開けた場所に出ました。
オスク人が居住していた、ポンペイ最古の居住地区です。
マリーナ通りにはパルテノン神殿にありそうな白い柱が所々に立っています。
右側を振り返ると、白い杯のようなものが見えたのですが、そこがヴィーナス神殿のようです。
行く先には右にバジリカ、左にアポロ神殿が見えて来ました。
マリーナ通りの先にあるのが、バジリカです。
2列の円柱に囲まれた、55×24mの建物の跡です。
円柱が白ではなく、レンガ製の茶色だったのが印象的でした。
株式取引所や商業・市民裁判の場として機能していた、大きな公共施設だったようです。
バジリカの前にあるのが、紀元前6世紀に建てられたアポロ神殿です。
神殿の土台と、1部の柱が残っているのみでしたが、白いトラバーチンの祭壇と日時計の役割を持つイオニア式の円柱はキレイに残っています。
矢を射るアポロの像の他に、ディアナの像もありましたが、この2つのブロンズ像はレプリカだそうです。
所々に飛び石がありましたが、これ、横断歩道なんだそうです。
アポロ神殿の東に広がるフォーロです。
奥(北側)にはジュピター神殿であったカピトリウムが見えます。
柱廊に囲まれた広場だったようです。
神殿の左右には凱旋門も残っており、宗教・市民・経済の中心地だった事がうかがえます。
このポンペイを滅ぼしたヴェスヴィオ山も見えます。
エウマキーア館です。
正面玄関にあたる門には、大理石の浮彫彫刻が施されています。
これは修復されたもので、これ以上傷まないようにカバーで覆われています。
柱廊のアキトレープとアッポンダンツァ通りに面した碑には、「この建物は、アウグストゥスの融和と皇帝への忠誠を誓い、巫女エウマキーアによって献納された」と。フッロネス(羊毛職人)組合の名義で書かれている碑があります。
エウマキーア館の隣にあるのが、ヴェスパシアヌス神殿です。
レリーフが美しい白い祭壇が残っていましたが…これ、生贄の祭壇なんだそうです。
レリーフには生贄にされる雄牛が描かれていました。
生贄が牛でホッとしましたが…残酷ですよね😢
フォーロの奥にあるジュピター神殿に戻って来ました。
南側にあたる部分に台座が並んでいます。
かつては名誉の像が並んでいた場所です。
その向こうにGranai del Foroが見えます。
出土品などが展示されているギャラリーのようだったので、見れなかったのが残念です😢
マケルム、食料品取引の場所です。
12本の柱をストーンヘンジのような儀式的なものに思いましたが、下水道設備付きの水槽が設置された小屋の跡だそう。
魚の小骨も発見されたことから、魚屋さんだったと推測されます。
奥には皇帝崇拝の神殿跡もあります。
東側に絵画装飾の壁が残っており、そこに火山灰に埋もれた人型の石膏がありました。
遺体部分だけが腐敗消失して出来た火山灰の中の空洞に、考古学者達が石膏を流し込み、逃げまどう市民の最期の瞬間を再現したという展示物に、あまり直視出来ませんでした。
トライアノ凱旋門を抜け、カリゴラ門に向かって歩いて行くと、フォルトゥーナ・アウグスタ神殿に出ました。
実はこの左手にあったのがフォロ浴場でした。
レストランがあったりしたので、全く気付きませんでした。
本物のテルマエ・ロマエ、見たかったです😢
トライアノ凱旋門があるのはアウグスト通りで、テルメ通りでREG.ⅦからREG.Ⅵとブロックが変わると地図にはあるのに、ここに案内板。
よくわかりません💦
カリゴラ門まで行き、テルメ通りをファウヌスの家方面に向かって歩きます。
ファウヌスの家です。
サムニウム時代の大金持ちの邸宅です。
トスカーナ式アトリウムの中心にインプルヴィウムがあり、名前の由来となったファウヌスのブロンズ像が立っています。
タブリウムやトリクリニウムの床にある大理石のモザイク装飾や、第一のペリスティリウムの壁にあるフレスコ画が見事です。
中でも有名なのが、エクセドラの床にある『アレクサンドロス大王とダリウスの戦い』のモザイク画です。
これはレプリカで、本物はナポリ国立考古学博物館にあります。
エクセドラの横を通り抜けて、奥にある第二のペリスティリウムに出ます。
円柱が並ぶ庭を眺めてから外に出ます。
メルクリオの横道を歩いてメルクリオ通りに出ました。
人の顔の水道がありました。
口から水が出るようです。
カリゴラ門の方向へ進みますが、振り返ると市壁の塔門が見えました。
小噴水の家です。
赤い壁が残る邸宅の庭の向こうに、噴水があります。
見事な装飾と右下にある像が、望遠を最大にしてかろうじて見る事が出来ました。
前は近くまで行けたようなのですが…残念😢
小噴水の家の隣には、大噴水の家がありました。
インプルヴィウムの向こうにある噴水は、よく見えました。
両端にある顔がなんともいえない表情でした(笑)
案内図があったのですが、持っている地図とはブロックの名前が違っています。
きちんと現地で確認しないと怖いですね💦
メルクリオ通りをカリゴラ門まで戻り、テルメ通りを東側に曲がります。
悲劇詩人の家は入れず、門からフレスコ画を撮るのみ。
この辺りは立ち入り禁止になっている場所も多いです。
パンサの家も入れず、東端まで来ました。
モディスト通りとコンソラーレ通りのY字路に、また人の顔の水道がありました。
右側のモディスト通り沿いのパンサの家の一角に、パン屋さんの跡がありました。
石臼や生地をこねる台だけでなく、焼き窯も良い状態で残っていました。
コンソラーレ通りを進みます。
右側には飲食店の跡がたくさんありましたが、何故か早足で黙々と歩いていたので写真を撮っていないという…
ナルチーソ通りとのY字路に出ましたが、ここもコンソラーレ通りを進みます。
エルコラーノ門から続くセポルクリ通りを歩きます。
『マンミアのスコラ』という半円形のベンチや、『イスタキディアの霊廟』と呼ばれる3本の円柱の記念碑、モザイクの円柱の別荘、ディオメデース荘など、数々の遺跡もありますが、左右には墓碑も多くあり、セポルクリ=墓地というのが頷けます。
ここは裕福な家の墓所なんだそうです。
ポンペイ観光の最後は『秘儀荘』です。
柱廊つき庭園、食堂、応接室や浴室等をしつらえた大規模な、ワイン製造所まである裕福な人の別荘です。
モザイクの円柱が並ぶ建物、現在は入れないようですが、この時は入れました。
…が、すぐにポンペイレッドと呼ばれる赤いフレスコ画の壁画がある部分に移動です。
中庭、ワインを製造する部屋がありました。
アトリウムの広さにビックリです😲
有名な『ディオニュソスの秘儀』が描かれた部屋に出ました。
ここは修復されているので、ポンペイレッドが1番鮮やかです。
ぐるり1周、ストーリーが描かれていますが、部屋が狭いので写真を撮るのが難しかったです。
そして、あっという間にポンペイ観光は終了です。
ポンペイにはまだまだ見所がいっぱいあって、スタビアーネ浴場、ステファノの洗濯屋、円形闘技場は見てみたかったです。
秘儀荘近くのレストランで昼食です。
気温42度の中を歩いてきたおかげで、喉カラカラです。
もちろんペットボトルの水は持ち歩いているのですが、すぐにぬるくなってしまうので冷たいのが飲みたくなるのです。
Biancoを頼みたいけれど冷えていないと悲しいので、レモンソーダにしました。
健康的です!
シーフードフリッターがウリのようでしたが、イカのマリネが美味しかったです(笑)
ローマまで、246㎞の移動です。
カストロチェーロにあるHotel Ristorante Liolàで休憩です。
ここでも搾りたてのオレンジジュース♡
普段は滅多にオレンジジュースなんて飲まないのですが、本当に100%果汁のみなので飲みまくりです。
おかげで果汁100%以外のジュースが飲めなくなりました(笑)
ローマ・テルミニ駅近くの共和国広場に着きました。
サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂や博物館、映画館に囲まれた大きな広場にびっくりです。
実はこの広場全体がディオクレティアヌス大浴場の跡で、浴場の中心にあったバジリカをミケランジェロがデザインしてサンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂に改修したんだそうです。
共和国広場から伸びるナツィオナーレ通り沿いにある、ローマ三越でお買い物タイムです。
本当は翌日の行程だったのですが、自由時間を増やすために今日に調整してくれました。
素晴らしい添乗員さんです✨
エイナウディ庭園にあるオベリスクです。
先端が星になっています。
オベリスクはキリスト教の宗教的なものだと思っていましたが、元々は古代エジプト(特に新王国時代)期に製作された、神殿などに立てられた記念碑の一種なんだそうです。
有名なパリのコンコルド広場にあるオベリスクなどは、エジプトから戦利品として運ばれたものだそうです。
現在、世界に現存する古代オベリスクは30本で、そのうち13本がローマ、7本がエジプトにあり、その30本以外は近代に造られたもので「オベリスク様建造物」と呼ばれているそうです。
日本にも山梨県甲府市の甲府城跡と千葉県夷隅郡御宿町に、オベリスク様建造物があります。
トリブナリ広場(Piazza dei Tribunali)に出ました。
この建物は最高裁判所なんだそうです。
重厚な建物には、いかにも裁判官というような像が並んでいます。
残念ながらバスの窓ガラスに反射しまくりです😢
しかもこのすぐ先…隣と言ってもよい所に「サンタンジェロ城」があったとは!
カヴール広場側に出ました。
サルデーニャ王国首相、イタリア王国首相(閣僚評議会議長・初代)、外務大臣(初代)を歴任した、カヴール伯爵カミッロ・ベンソの像があります。
公園の向こうに見えるのは、先程まで見ていた最高裁判所です。
反対側とは雰囲気が全然違うので、同じ建物とは思えませんでした。
夕食はカンツォーネディナーです。
ハウスワインの飲み放題付♡
こういうワインなのに、めちゃくちゃ美味しいんです!
防腐剤や添加物が入っていないからなんですねー。
カンツォーネは素晴らしく、思わずサイン入りCDを買ってしまいました(笑)
カヴール広場に戻って来ました。
ぐるぐるとまた最高裁判所の周りを回っています。
少しですがサンタンジェロ城が見えました!!
ホテルに到着です。
フィウミチーノ空港の横にあるホテルなので、南イタリアの観光をして戻って来た感じです(笑)
そんな環境なので、周りに出掛けるようなお店もありません😢
夜中もずっと飛行機の発着があるので、音が凄かったです。
私は気にしないので大丈夫でしたが…