DAY 2_PM
9~10世紀の遺跡群
~バンテアイ スレイ・東メボン・プラサット クラバン・プレ ループ~
午後の観光からはアンコール遺跡群になります。
967年に創建された平地式の『バンテアイ・スレイ(Banteay Srei)』です。
赤色砂岩とラテライトでが特徴的なこの遺跡は、陽が当たる午前中や雨の日には一層朱く見え、美しい彫刻もあることから、郊外にあるのに人気のある寺院です。
東門のレリーフも美しく、そこから続く参道も両脇にリンガが立ち並び、中央伽藍を強調させるためのパースペクティブな構図が見事に表現されています。
このバンテアイ・スレイの人気の理由の1つが「東洋のモナリザ」です。
多くの美しいデバター(女神)像が残っていますが、その中でも最も美しいと言われている1体が「東洋のモナリザ」と呼ばれているのです。
そのため盗難事件が相次ぎ、現在は第三周壁の中は立ち入り禁止となっており、遠くから望遠レンズで見なければならないとの事で、今回の旅は普段持ち歩かない望遠レンズのカメラを持参です。
ガイドブックに記載されている場所にそれらしき像が無く、途方に暮れながら、とにかくひたすらデバターを撮りまくります。
やっと見つけました、「東洋のモナリザ」
周壁の隙間から撮影です。
しかし、ガイドブックの写真と微妙に顔の微笑み具合が違うような…
ネットで調べると、ほとんどがこの像を「東洋のモナリザ」と言っていますが、正直なところ確信が持てていません。
全く形状の違うアバターを東洋のモナリザなんて言っている人もいるし、綺麗なんだから全部「東洋のモナリザ」で良くない?という気持ちになって来ます。
東門を出て少し歩くと、蓮の花が咲く大きな池があり、周囲にレストランやトイレの設備がありました。
今回の旅は、Yonさんがキレイなトイレを選んで案内してくれています。
とても日本人は案内出来ないようなトイレもあるそうですが、おかげで快適に過ごせています。
今まで行った海外で、一番酷いトイレ事情はイタリアかも…
見学が終わってから案内図を見つけましたが、このバンテアイ・スレイにはレリーフなど、多くの見所があるので事前学習しておいた方が後悔しないかもしれません。
私はかなり見落としをしてしまい、後悔しまくりです。
次は952年に創建された『東メボン(East Mebon)』です。
現在は涸れていますが、東バライ(貯水池)の中央に浮かぶように造られた、レンガ系ピラミッド式の遺跡です。
第二周壁がそのままピラミッドの第一基壇になっていました。
この遺跡の四隅にも象の像が建っていますが、状態が良いです。
主祠堂は4つの祠堂に囲まれており、その中だけ入る事が出来ました。
外から見ると後ろ側にも出入口があるように見えるのに、中を見ると壁。
見せかけの入口だとわかりました。
象の鼻は細いので、きちんと残っている遺跡が少ないのですが、ここは綺麗な状態だったので、シルエットだと本物の象に見えました!
921年創建の『プラサット・クラバン(Prasat Kravan)』に到着です。
ここはレンガ系平地式で、5つの塔が東向き1列に並ぶ遺跡です。
北側からラクシュミー、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神、ウマの順に祀られており、シンプル&崩壊具合からは想像出来ないくらい、状態の良い浮彫が残っていました。
1964年からフランスが修復をしており、保存状態も良いのだそうです。
昔見たアニメの影響で、ヴィシュヌ神を女神だと思っていた私は、ヴィシュヌ神が男神だと知って衝撃(笑)
最後は『プレ・ループ(Pre Rup)』で、夕日鑑賞です。
ここは2番目に人気のある夕日鑑賞スポットです。
961年に創建されたピラミッド式で、レンガ系の中では1番最後に造られた遺跡です。
死者を荼毘に付したと言われる石槽や火葬した場所など、儀式が行われていた跡が残っています。
かなり急な階段を這って上ります。
これ、陽が沈んで暗くなったら下りるの怖いです💦
20棟を超える経蔵や倉庫で囲まれた伽藍の中央に12基の小祠堂、4基の副祠堂と中央祠堂の5塔主堂型で構成された大きな遺跡が、ジャングルの中にどーんとあるのが不思議な感じです。
最上段で陽が沈むのを待ちます。
なかなか夕日が見えそうもないので、デバターの写真を撮ってます。
崩れの少ない綺麗な状態の物を選んで撮っていたのですが…
実は、南西の副祠堂にイノシシに化けた顔のラクシュミー(ヴィシュヌ神の妻)と、4つの顔を持つサラスヴァティー(ブラフマー神の妻)のデバターがあったらしく無念😢
しかも、そうこうしているうちに日没時間を過ぎてしまったらしく、残念ながら夕日鑑賞は出来ませんでした。
朝日鑑賞といい、今日は天気に恵まれませんでした。
夕食はアプサラダンスを鑑賞しながらのバイキングです。
アプサラダンスは9世紀頃に生まれた宮廷舞踊ですが、ポル・ポト政権時に300人いた踊り子の内の90%が処刑されたり、振り付けを記録した書物も消失してしまい、途絶える寸前になってしまったんだとか。
デバターとオーバーラップするような踊りはとても優雅でした。
動画で録っておけばよかった…