今日も晴天です。
しっかり朝食を食べて、伊勢路最大の難所と言われる八鬼山峠へ向かいます。
道標と案内図を確認してから、北川橋を渡りました。
北川沿いの街並みも良い雰囲気です。
北川橋を渡るとすぐ左手にある、2011年に廃業されてしまった「松の湯」さんです。
ものすごい豪邸(土井本家屋敷)の裏を進んだところにありました。
昔の備蓄倉庫だそうです。
袖片橋には、昔、湾をはさんで暮らしていた若者2人が偶然出会い、別れる際にお互いの片袖を交換したという言い伝えが残っています。
袖片橋石経碑・道標の隣にある庚申祠を曲がって、「やのはま道」に入りました。
矢浜町の道だから「やのはま道」
目印の井戸やら案内板を見逃すと迷子になってしまいそうなくらい、細い入り組んだ路地でした。
桂城宮綴連王重信のお墓です。
矢ノ川橋を渡って、川沿いを歩きました。
八鬼山峠と熊野古道のセンターの分帰路です。
「ままになるならあの八鬼山を鍬でならして通わせる」という尾鷲節の一節は、江戸時代後期、八鬼山を隔てた三木里浦の庄屋の娘・お柳と、矢浜村の宮大工の弟子・喜久八の悲恋を唄ったものだそうです。
諸事情により最大難所と言われる八鬼山峠を回避することにし、熊野古道センターへお勉強に行きました。
展示棟の映像ホールで約15分の「熊野古道」の映像を見てから、館内の見学をしました。
建物までの坂道に峠ごとの石畳が再現されていました。
こうやって見比べると違いが良くわかります。
坂を登りきると、昨日歩いた馬越峠が良く見えました。
熊野古道センターはとてもきれいな建物でした。
手前側が展示棟です。
令和3年10月1日(金)~10月31日(日)の企画展は「旅行用心集」でした。
八隅蘆庵によって書かれた旅行の案内書の説明と、実物が展示されていました。
令和3年10月1日(金)~11月7日(日)のロビー展は「牛王宝印といえば熊野」でした。
ロビー展「牛王宝印といえば熊野」<世界遺産の登録>
<霊場と参詣道>
<熊野古道の自然>
<熊野古道の生活誌>
<熊野詣と曼荼羅>
<熊野古道を歩いた人々>
<熊野の海の道>
<熊野の歴史>
令和3年10月1日(金)~10月31日(日)の企画展示室は、わが郷土のお祭り「紀宝町と烏止野神社例大祭」でした。
毎年11月23日に行われる烏止野神社例大祭についての説明と、実際に使われている御神輿が展示されていました。
交流棟でスタンプGetです。
干潮時には歩いて渡ることが出来るそうです。
駅舎も何もなく、線路を渡って直接ホームに上がりました。
八鬼山峠越えをしている仲間と合流しに三木里に向かいます。
私は行っていないのですが…所々にあるお地蔵様の顔は要チェックです。
特に、七曲の最後にあるお地蔵様は舌を出しているそうなので、必見です。
すっかり荒んでしまっていたお堂ですが、世界遺産に登録されたことをきっかけに寄付を募り、2019年に再建されました。
八鬼山峠のスタンプもGetです。
九鬼水軍で有名な九鬼町が見える絶景ポイント!
八鬼山峠はここで終わりです。
八鬼山峠越えをしている仲間と合流するために三木里に到着です。
待ち合わせのビーチが遠くに見えます。
県道159号線にあった「ひたりくまのみち」と刻まれた石碑です。
美しい砂浜の三木里ビーチで、賀田湾を眺めながら風帆で作ってもらったお昼をいただきました。
手紙付なのが嬉しい!
八鬼山峠越えした仲間と合流しました。
八十川橋を渡り、ヨコネ道を進むと三木峠の入口がありました。
三木峠は標高120mですが、短い区間なので、かなり急坂に感じました。
三木峠から標高139mの展望峰に行けました。
ここからは熊野灘や三木浦の集落が見渡せました。
三木峠を下り、農道から幟を目印に民家の間をジグザクに通りながら国道311号に出ると、この道標に従ってまた上り(苦笑)
狭い道を下りたり上ったりジグザグと慌ただしい感じでしたが、きれいな猪垣が多く残っており、それが屋敷跡の石垣にも見えて不思議な感じでした。
ここが羽後峠の登り口だと思っていたのですが…登り口までの案内だったことにのちほど気付きました💧
大きな木の下に石垣に守られた祠がありました。
時間が押してしまい、暗くなって足元が見えなくなると危険と判断し、回避することにしたところ、皆さんお付き合いで農道を歩いて下さいました。
結果…スタンプGetし損ねたことに後で気付きました😢
でも、農道には照明が一切ないトンネルがあったので、1人じゃなくて良かった~~~!と。
しかも上から水がポタリと手に落ちてくるし💦
五輪塔とは、仏教思想における宇宙生成の五大要素「空、風、火、水、地」を表しているそうです。
賀田湾が上る月がキレイに見えてテンションが上がり、ゴージャスな夕食にもテンション上がり…幸せな夜でした♥