スピリチュアルスポット巡りをしようと歩いていると「下同心丁枡形と法華題目の碑」を見つけました。
案内板には下同心丁升形の説明しかありませんでした。
遠野市指定史跡 下同心丁升形
指定 昭和三十八年四月二十六日所在地 遠野市下組町一〇四本
この升形は、城下町の防御のため、主な道路の出入口に関門として設置されたもので、土を盛って升の形に作られました。
緊急な出陣のときは、この升形一杯の兵で一つの隊としたという伝えもあります。
越下には、このほか上同心丁、中同心丁にもありましたが、現在では残っていません。
寛文六年(一六六六年)の頃、創設されたものと推定されます。
遠野遺産第149号です。
下同心枡形は寛文6年南部直栄が城下町を形成した時、防御のため城下町の境3箇所に設けられた枡形の内のひとつです。
交通の発達などにより滅失しており、その一部が現存している貴重な史跡として市の史跡指定を受けています。
法華題目の碑は遠野南部家の元祖波木井六郎実長が日蓮に帰依、身延山を寄進し久遠寺を創建させた縁により、成仏弘法の語録を拝受し、南部氏が飢饉等に苦しむ領内の平安を願って石碑に刻み弘化3年に建立されています。
遠野南部氏と身延山の親密な関係を示し後世に伝える石碑でもあります。
南部家所縁の「智恩寺」は今も「北身延」と称されています。
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