カッパ淵に来ました。
カッパ捕獲が目的です(笑)
遠野の河童は顔が赤いといわれ、その伝説は数多く残っています。
遠野物語五十八話には次のようにあります。
「小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家といふ家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその場を引込まんとし、却りて馬に引きずられて厩の前に乗り・・・・」
馬を川に引きこむいたずらに失敗したカッパは、おわびをして許され、母と子の守り神になったという、河童駒引きの伝説を伝える河童神様が祀られています。
祠の中には乳首の縫いぐるみが奉納されており、乳の信仰に転化している興味深い民俗があります。
常堅寺の火事の際は頭の皿から水を吹き出して消しとめたという伝説もあり、今でも一対のカッパ狗犬として境内にその姿をとどめています。

カッパが祀られている祠がありました。
カッパがいましたが…ちょっとトラウマになりそうなレベルで怖いです(笑)
「河童渕 秋色秋声 流しをり」という歌碑や、河童釣り名人の常設竿もありました。
安倍(阿部)屋敷跡(別名屯館)です。

遠野物語六十八話に「安倍氏という家ありて貞任の末なりと云ふ。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣馬具あまたあり」とあります。
昔からこの地は屯舘と呼ばれ、平安時代後期の天喜・康平(紀元1050年ごろ)に北上川流域に勢力を誇った安倍氏の一族(貞任の弟・北浦六郎重任)が屋敷を構えたと伝えられています。
現在も堀の跡や、八幡座館の八幡太郎の軍と小鳥瀬川をはさんで矢をうちあったと伝えられる的場跡などの遺構が残っています。
屋敷跡の東北にある稲荷社は、約四○○年前に安倍氏の養子となった人が甲州(山梨県)より勧請し氏神としたもので、近郷でも古い社の一つといわれており、明治の初め頃まで旧暦二月十五日の祭例日には「ダンビラケー(ダンビラ祭)」が行われていました。
近郷の山伏を一堂に集めて、湯立の儀式を行ない巫女が笹を振りながら巫女舞を舞ったといわれています。
カッパ淵の横には池がありました。
元々この地は「蓮池」と呼ばれており、横の寺の名前も正式には「蓮峰山 常堅寺」と言います。
昔は蓮の葉が浮く池がありましたが、流れ入る水量が減り、池の形跡も見られなくなってしまいました。
しかし、常堅寺を火事から守ってくれたカッパが、いつでも戻ってきて泳ぎ回ることを願って、地元の有志で作り直したようです。
カッパ淵~蓮池川水域は遠野遺産第22号です。
カッパ淵及び、淵の下流を二股に分かれて流れる蓮池川水系は、もっとも有名な観光拠点であるばかりではなく、農村集落を流れる小川の原風景をとどめる、美しい農村景観である。
このカッパ淵は、カッパを見たという故阿部与一さんとともに、カッパがいる淵であるということで全国的に有名になった。
遠野にはカッパにまつわる民話が多く語り継がれている。
その民話のイメージを象徴する場所として、カッパ淵は遠野市内で最も有名な観光地となっている。
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