スカイツリーから真っ直ぐ伸びるタワービュー通りから近い所に、鬼平犯科帳 「尻毛の長右衛門」の舞台となった法恩寺というお寺がありました。
太田道灌が1458年(長禄2年)に江戸城を築くにあたり、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(江戸城平川口)に建立開基。
開山は本住院日住上人で、当初は本住院と称した。
道灌の跡を継ぎ城主となった嫡子・法恩斎の年忌に際し、孫の太田資高が寺号を法恩寺と改めた。
その後神田柳原、谷中清水町と移転した後、1695年(元禄8年)に現在地に移ったが、当時は塔頭20ヵ寺・末寺11ヵ寺を擁していた。
現在も日蓮宗・小西法縁内の法脈の一つである法恩寺法脈の脈頭寺院として大きな影響力を持つ。
また、隅田川川施餓鬼、七草粥、震災記念「思い出のすいとん会」、十五夜お茶会、年末餅つき会、花見の縁などの開催など、壇信徒のみならず地域社会・地元近隣町会との繋がりが大変に強い寺として知られる。
現在地の「太平(町)」の地名は、太田道灌の「太」の字と、山号平河山の「平」の二文字をとり命名されたものと言われている。
参道や手前の道には鬼平犯科帳にまつわる「鬼平情景」の説明板もあります。
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