本日の目的地、垂水遺跡/垂水不動尊へ向かいます。
山寺千手院 観音堂の右手に、遺跡へ続く道の案内板がありました。
く、熊出るの??
熊鈴、一応持って来て良かったです。
この一帯は裏山寺と呼ばれ、正式名称を「峯の浦」というんだそうです。
ここに山道とトイレの設備維持のための協力金を入れるBOXがありました。
墓地の間を通り抜けると、垂水不動尊への入口がありました。
約15分の道のりとありましたが、本当に?と思うくらい鬱蒼とした山の中に入って行く感じです。
一人で歩いているとちょっと不安になりましたが、時々戻って来る人がいるので安心出来ました。
完全に登山ですが、決して急登ではないし、階段などもきちんと整備しているので歩きやすい道でした。
途中に垂水不動尊と城岩七岩の分岐点がありました。
垂水不動尊から戻って、ここから城岩七岩へ行く予定です。
蜂の巣状の岩が現れたと思ったら、そこが垂水遺跡でした。
凝灰岩でできた白い岩肌に、蜂の巣状に穴が開いた巨石・巨岩が複雑に入り組んで並んでました。
見たこともない奇岩に囲まれ、異空間に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われました。
白い鳥居が見えて階段があるので行けるのはわかりましたが、あまりにも神聖な空気が流れているので躊躇われました。
全体も知りたかったので、ひとまず上らずに先へ進みました。
岩の割れ目の下に不動明王がいらっしゃいました。
この岩の割れ目に水が垂れていたことから『垂水』と呼ばれたそうです。
この下にいた不動明王に気を取られてしまったのですが、この上にも不動明王がいたとか…
見落としました😢
不動明王の左には垂水観音祠と書かれた札が掲げられていました。
岩肌に千手観音が彫られていたそうなのですが、線刻だったために、どうやら見つけるのは困難のようです…
あまりにも見つからないのでこの碑が観音様?とか思ったのですが、改めて写真を確認するとコレに刻まれているのは梵字でした。
垂水遺跡についての説明がありました。
多国語対応しているようで、下に言語ごとのQRが設置されていました。
コロナ禍前は、外国人に人気のスポットだったようです。
日本人より外国人の方が日本を知っていたりするんですよね…
円仁宿跡です。
不動明王がいた岩の割れ目のすぐ右にあります。
立石寺開基に先立つ830年、慈覚大師円仁は東北巡錫の途上に垂水遺跡の荘厳な景観に心を惹かれ、天台宗の霊場づくりを決意し、岩壁の奥にあるこの岩窟「円仁宿跡」に籠もり、山寺開基の構想を練ったと言われているとか。
こんなところに寝泊まりしていたのかと思うと、ゾッとしました。
更に右手に道があり、大日堂跡と書かれた札がありました。
こちらに行く人が誰もいないので不安に思いながらも、せっかくなので行ってみることにしました。
道の途中には梵字が彫られた石塔がありました。
大日堂跡です。
どこまで行くのか不安だったのですが、石塔からちょっと上ったところにありました。
大日堂というので大日如来をお祀りするお堂があったということなのでしょうか?
ここにお堂があったとは思えない広さでした。
この大日堂跡についての説明が無いので詳細がわからず…
少し上った位置にあったので、先程の岩の割れ目全体を見ることが出来ました。
かなり高い崖だとわかりました。
鳥居のあった場所まで戻りました。
上っている人がいたので、行ってみることにしました。
階段のように岩を削ってありますが、這って上り下りしないとちょっと怖いです。
上ってみると更に上に赤い鳥居が見えました。
これが稲荷神社です。
ここまで来たならばと前まで行ってみました。
お参りして振り返ると、先程の鳥居がまるで地底にあるような不思議な景色が広がっていました。
戻る道中、岩の穴に石碑があることに気付きました。
ここが古峯神社でした。
『こぶはら』とは読めません!
階段らしきものがあるので上れそうではありますが、ここはちょっと躊躇われて断念しました。
もの凄いパワースポットでした!
行って良かったです。
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