燈明堂や五重の塔を建立した津要和尚のお墓がありました。
標柱には
『津要玄梁和尚は正徳2年(1712)に寺下の観音堂に参籠して「海潮山応物寺廃頽の記」を発見、その後、野沢村彦六の庇護を受けながらこの地の佛法教化活動にその生涯を捧げた。墓碑には「延享二年乙丑前永平祇陀先住石橋玄梁大和尚禅師大閏十二月廿五日」と刻銘されている。』
と書かれています。
津要堂は近年、建て替えられたようです。
Googleのストリートビューなどを見ると、全然違います。
とても顔のきれいな石像もありました。
少し歩くと屋敷跡もありました。
標柱には
『燈明堂や五重の塔を建立した津要玄梁和尚の屋敷跡で、正徳2年(1712)、初めて寺下観音を訪れて以来、30余年をこの地方で過ごしたが、その大半の年月をここの草庵で起居し、この地で入寂した。』
と書かれていますが、屋敷の基礎すら残っていない状態です。
こんな山奥(?)に一人で生活していたのかと思うと寂しくなかったのかな?などと考えてしまいます。
Google mapには表示が無いです。
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