寺下観音灯明堂

寺下観音灯明堂

三陸ジオパーク「寺下観音灯明堂」に向かいます。

木の鳥居の向こうに階段が続きます。
鳥居をくぐったところには手に宝剣を持つ神様が彫られた石がありました。
千手観音? 不動明王??
だいぶ薄くなっているのでわかりにくいです。
階段がどこまで続くのかわからなかったのですが、あとで調べたら200mあったようです。
この階段がかなり急登なので、ストックが用意されていることもあるみたいですが、今日はありませんでした。

寺下観音灯明堂 鳥居
寺下観音灯明堂 参道の石碑

長い階段を上ると、参道の途中には大きな岩がいくつかあり、それぞれの名前が書かれた札が立っていました。

弁慶一刀岩です。
恐らく、弁慶が一太刀浴びせた岩とかそんな云われがあるんだと思いますが、調べても全くわかりません。

寺下観音灯明堂 弁慶一刀岩

魔王大士も由来が全くわかりません。
近くに行ってみると、閻魔大王が彫られているのがわかりました。

寺下観音灯明堂 魔王大士
寺下観音灯明堂 魔王大士

義経弁慶岩です。
これも云われが不明なのですが、どちらかが義経で、もう片方が弁慶でしょう…なんて思って通り抜けて裏が見えたら、なんとなくどっちがどっちかわかった気がします(苦笑)

寺下観音灯明堂 義経弁慶岩
寺下観音灯明堂 義経弁慶岩

標高272mの日向山山頂に出ました。

享保15年(1734年)、津要玄梁和尚が八戸浦の諸国廻船の海上運航の安全を祈願して建立した、日本最古の灯台「燈明堂」の跡地です。

寺下観音灯明堂

狛犬もいらっしゃいました。

寺下観音灯明堂 左側の狛犬
寺下観音灯明堂 右側の狛犬

五重の塔宝輪がありました。
かつては五重の塔の遺構として、五重の櫓の上に乗っていたようですが、朽ちてしまったために青銅製相輪だけが残されていました。
灯明堂内(向って右の建物)にある塔の本尊、石造五智如来坐像も見ることが出来たようです。
もしかしたら、自分で扉を開けてお参りするタイプだったのかも??
でも、何も書かれていないので不明です。

寺下観音灯明堂

標柱には
『享保15年(1734)、津要玄梁和尚が、八戸浦の諸国廻船の海上運航の安全を祈願して燈明堂を建立した跡地である。
ここは、北は八戸港湾から南は小舟渡の海岸一帯が眺望できる所で、海岸まで4kmぐらいの距離にあり、燈明堂の灯はよく見えたと言われている。
八戸藩主より常燈明料として毎年銭五貫文が別当野沢村彦六に給されていた。』
と書かれていました。

また、御用人所日記(上杉家文書)には、享保15年5月12日に「寺下山御疱痘立願ニ灯明堂寺下山ニ建立仕候」との記述が残されており、八戸藩四代藩主南部広信の疱痘(瘡)治癒祈願のために建てられたこともわかっているようです。

寺下観音灯明堂 標柱

境内には石碑がいくつかありました。
「禅参一通居士 元文三戌午九月廿五日」と彫られた僧侶らしき石仏と、仙人らしき石仏、他には庚申塔もありました。

寺下観音灯明堂 石仏
寺下観音灯明堂 石仏

登って来た山道を下り、鳥居のところまで戻ります。
ここから五重の塔跡地などを経由して寺下観音に向かうつもりなのですが…道が二手に!
しかもどちらも行き止まりになりそうな気配がする道です(笑)
片方には「祈りの道」とありますが、もう片方は何もありません。
電波も入らないので、Google mapで確認も出来ません。
雨はどんどん強くなって来るし、気分は完全に遭難です(笑)
なんとなく「祈りの道」と書いてある方に行きたくなるのですが、潮風トレイルの正解は「祈りの道」ではない方でした。
どちらに行っても最終的には寺下観音に辿り着きますが、「祈りの道」に行ってしまうと、五重の塔跡地や津要屋敷跡に行けない上にちょっと遠回りになります。
ご注意を!


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