寺下観音

寺下観音 観音堂

寺下観音に来ました。
奥の院から山を下って来たので、正面からではなく後ろから境内に入りました。
木と苔の緑が美しいです。

寺下観音 境内
寺下観音 境内

「大弁才天女」と「接待宗碩経塚」がありました。
石像などの名前はそれぞれきちんと書かれているのですが、由来はこれまたわかりません。

寺下観音 大弁才天女
寺下観音 接待宗碩経塚

境内には寺下の滝がありました。

寺下の滝

寺下の滝

三陸ジオパーク「寺下の滝」です。 寺下の滝は階上岳の風化花崗岩地帯にあり、風化により取り残された花崗岩の間から落差1mほどの滝が流れています。道仏川の支流である寺下川の川底には、花崗岩が風化した砂「白…

滝の先には銀杏の巨木がありました。
寺下観音のイチョウではなく「潮山神社のイチョウ」と呼ばれています。
恐らく潮山神社の真横にあるからでしょう。
階上町のホームページによると、樹高23.0m、幹周10.1m、推定樹齢800年です。
大銀杏の根元には「銀杏大明神」が祀られていました。

めちゃくちゃパワーを感じます。
朽ちてしまっているので環境省巨樹データベースにも登録が無いなんて記述も見かけますが、緑の葉が広がっていたので、朽ちてはいないと個人的には思いました。
とはいえ、青森県は全国一のイチョウ大国だそうなので、もっと凄い木がいっぱいあるのかもしれません。

寺下観音 銀杏大明神
潮山神社のイチョウ

寺下観音は海潮山應物寺に由来する、歴史の長い観音堂です。
飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した大僧正・行基が開基と伝えられ、納められている観音像も行基の作と伝えられています。
その後、文治2年(1186年)に経津主命を観音堂に併せて祀り、以来、神仏混淆の聖地として崇信されました。
明治の神仏分離令により、観世音と経津主命を分けて祀ることとなり、現在の観音堂が新たに建てられました。
それまでの社殿は引き続き、経津主命を祀る潮山神社となっています。

潮山神社

潮山神社

第45代天皇・聖武天皇の時代、神亀元年(724年)から5年をかけて創建された海潮山應物寺に由来する、歴史の長い観音堂です。飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した大僧正・行基(天智天皇7年(668年)~天…

潮山神社の前には八幡大菩薩がありました。
更に参道を進むと馬頭観音、念光禅定門がありました。

写真は撮り損ねましたが平和祈念碑・日露戦役紀念碑もありました。

寺下観音 八幡大菩薩
寺下観音 馬頭観音
寺下観音 念光禅定門

鳥居が見えて来ましたが、観音堂の方へ向かいます。
この参道の杉は樹齢300年だそうです。

寺下観音 参道

観音橋です。
渡った先に石灯籠と鳥居があります。
そこを右側に行くと寺下川沿いにある「おより場」に行くことが出来ます。
おより場とは占い場のことだそうです。
『紙に硬貨をのせて願い事を念じながら水上に供え、沈めば「吉」反対だと「凶」と判断します。』との案内があるそうですが、てっきり東屋かと思って通過してしまいました…

寺下観音 観音橋
寺下観音 おより場

石の階段を上ります。
横から見た時はわからなかったのですが、かなり斜めになっています。
上っているうちに平衡感覚がおかしくなって来ました。
階段の上にあるのは仁王門です。
ちょっと笑ってしまいそうな仁王様がいらっしゃったみたいなので、覗いてみればよかったです。
仁王像の作者や制作年は不明のようです。

寺下観音 石段
寺下観音 仁王門

仁王門の裏に狛犬が隠れていました。
何故この配置なのだろう…
入る時には全く気付けない!
そして、この狛犬の尻尾が渦巻きのようになっていたようなので、見れなかったのが残念。
後フェチなので無念すぎます(笑)

寺下観音 狛犬

明治の神仏分離令により建てられた、新しい観音堂です。
ここに納められているのが、行基が作ったとされる観音像です。

寺下観音 観音堂

寺下観音の境内には、西国三十三カ所観音霊場の観音様を模した観音像が並べられていました。
西国三十三カ所観音霊場とは、和歌山県の那智山寺から始まり、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、兵庫県そして岐阜県の華厳寺までの近畿周辺、2府5県に点在する33カ所の観音信仰の霊場で、全ての観音巡礼をすることで、あらゆる罪業(苦しみをを受ける原因となる悪い行為)が消滅し、極楽往生(死後、極楽浄土に生まれ変わること、安らかに死ぬこと)できるとされています。
寺下観音を参拝することで、あわせて西国三十三カ所観音霊場を巡ったことと同じ功徳を受けられるようにとの便宜がはかられたものだそうです。

一番札所・如意輪観音像     那智山寺(那智山 青岸渡寺) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
二番札所・十一面観音像     紀三井寺(紀三井山 金剛宝寺) 和歌山県和歌山市
三番札所・千手千眼観音像    粉河寺(風猛山 粉河寺) 和歌山県紀の川市
四番札所・千手千眼観音像    槇尾寺(槇尾山 施福寺) 大阪府和泉市
五番札所・十一面千手千眼観音像 葛井寺(紫雲山 葛井寺) 大阪府藤井寺市
六番札所・千手千眼観音像    壺阪寺(壺阪山 南法華寺) 奈良県高市郡高取町
七番札所・如意輪観音像     岡寺(東光山 龍蓋寺) 奈良県高市郡明日香村
八番札所・十一面観音像     長谷寺(豊山 長谷寺) 奈良県桜井市
九番札所・不空羂索観音像    南円堂(興福寺) 奈良県奈良市
十番札所・千手観音像      室戸寺(明星山 三室戸寺) 京都府宇治市
十一番札所・准胝観音像     上醍醐寺(深雪山 上醍醐寺) 京都府京都市伏見区
十二番札所・千手観音像     岩間寺(岩間山 正法寺) 滋賀県大津市
十三番札所・二臂如意輪観音像  石山寺(岩光山 石山寺) 滋賀県大津市
十四番札所・如意輪観音像    三井寺(長等山 園城寺) 滋賀県大津市
十五番札所・十一面観音像    今熊野観音寺(新那智山 今熊野観音寺) 京都府京都市東山区
十六番札所・千手観音像     清水寺(音羽山 清水寺) 京都府京都市東山区
十七番札所・十一面観音像    六波羅蜜寺(補陀洛山 六波羅蜜寺) 京都府京都市東山区
十八番札所・如意輪観音像    六角堂(紫雲山 頂法寺) 京都府京都市中京区
十九番札所・千手観音像     革堂(霊麀山 行願寺) 京都府京都市中京区
二十番札所・千手千眼観音像   善峯寺(西山 善峯寺) 京都府京都市西京区
二十一番札所・聖観音像     穴太寺(菩提山 穴太寺) 京都府亀岡市
二十二番札所・千手観音像    総持寺(補陀洛山 総持寺) 大阪府茨木市
二十三番札所・十一面千手観音像 勝尾寺(応頂山 勝尾寺) 大阪府箕面市
二十四番札所・十一面観音像   中山寺(紫雲山 中山寺)兵庫県宝塚市
二十五番札所・十一面千手観音像 清水寺(御嶽山 清水寺) 兵庫県加東市
二十六番札所・聖観音像     一乗寺(法華山 一乗寺) 兵庫県加西市
二十七番札所・如意輪観音像   圓教寺(書寫山 圓教寺) 兵庫県姫路市
二十八番札所・聖観音像     成相寺(成相山 成相寺) 京都府宮津市
二十九番札所・馬頭観音像    松尾寺(青葉山 松尾寺) 京都府舞鶴市
三十番札所・千手千眼観音像   宝厳寺(厳金山 宝厳寺) 滋賀県長浜市
三十一番札所・千手十一面観音像 長命寺(姨綺耶山 長命寺) 滋賀県近江八幡市
三十二番札所・千手千眼観音像  観音正寺(繖山 観音正寺) 滋賀県近江八幡市
三十三番札所・十一面観音像   華厳寺(谷汲山 華厳寺) 岐阜県揖斐郡揖斐川町

東京在住人間、今まで行ったことがあるところを太字にしてみたけれど、さすがに少ない…

ちなみに、33という数字は、観世音菩薩が衆生(命あるすべてのもの)を救う際に33の姿に変化するとされていることに由来しており、観音信仰では非常に重要な数字なんだそうです。

寺下観音 西国三十三カ所観音霊場
寺下観音 西国三十三カ所観音霊場

西国三十三カ所観音霊場の観音様には、足元にそれぞれどこのお寺の観音様か書かれており、足元にはお賽銭箱がありました。

鳥獣供養塔の前にも似たような造りの石像が8体置かれており、見ると札所が書かれていました。
あちらにもあるのに?と不思議に思ってよく見ると、かなり破損が激しいです。
どうやら新しいものと入れ替え、古いものをこちらに置いているようです。

寺下観音 石像

ちなみに、この寺下観音は奥州南部糠部三十三カ所観音霊場の一番札所でもあります。

一番札所   寺下観音  青森県三戸郡階上町
二番札所   清水寺観音 青森県八戸市是川中居
三番札所   岡田山観音 青森県八戸市松館岡田
四番札所   島守観音(高松寺) 青森県八戸市南郷大字島守
五番札所   白浜観音 青森県八戸市鮫町
六番札所   白銀浜清水観音 青森県八戸市白銀
七番札所   岩淵観音 青森県八戸市新井田
八番札所   浄生寺観音 青森県八戸市新井田
九番札所   大慈寺観音 青森県八戸市長者
十番札所   来迎寺観音 青森県八戸市朔日町
十一番札所  南宗寺観音 青森県八戸市長者
十二番札所  根城隅ノ観音 青森県八戸市根城
十三番札所  坂牛観音 青森県八戸市坂牛
十四番札所  八幡櫛引郷観音 青森県八戸市八幡五日市
十五番札所  七崎観音(普賢院) 青森県八戸市豊崎町
十六番札所  斗賀観音(斗賀神社) 青森県三戸郡南部町
十七番札所  相内観音 青森県三戸郡南部町
十八番札所  作和外手洗観音 青森県三戸郡南部町
十九番札所  法光寺観音 青森県三戸郡南部町
二十番札所  矢立観音 青森県三戸郡南部町
二十一番札所 野瀬観音 青森県三戸郡三戸町
二十二番札所 恵光院長谷観音(長谷寺) 青森県三戸郡南部町
二十三番札所 早稲田観音 青森県三戸郡南部町
二十四番札所 古町隅ノ観音 青森県三戸郡南部町
二十五番札所 悟真寺観音 青森県三戸郡三戸町
二十六番札所 下田子清水寺観音(真清田神社) 青森県三戸郡田子町
二十七番札所 釜淵観音 青森県三戸郡田子町
二十八番札所 岩谷観音 岩手県二戸市福岡城ノ外
二十九番札所 鳥越観音 岩手県二戸郡一戸町
三十番札所  朝日観音 岩手県二戸市石切所
三十一番札所 観音林観音 岩手県九戸郡軽米町
三十二番札所 実相寺観音 岩手県二戸郡一戸町
三十三番札所 桂清水観音(天台寺) 岩手県二戸市浄法寺町


観音堂の横には鐘撞堂がありました。
享保4年(1719年)に鋳造されたとされる梵鐘(階上町指定有形文化財)には、鎌倉時代である仁治3年(1242年)の落雷で焼失していた應物寺を寛元4年(1246年)に再興する際に、僧侶・江山が灰塵の中から観音像などを拾い集めたことを記録したものとされる、寺下観音堂の由来をまとめた「海潮山應物寺廃頽の記」が刻まれています。
「海潮山應物寺廃頽の記」は應物寺の毘沙門天像の胎内に隠されており、正徳2年(1712年)に津要玄梁和尚が発見して、梵鐘に刻みました。

標柱には
『寺下観音堂にはその由来をまとめた「應物寺廃頽の記」が伝えられてある。海潮山應物寺は平安時代に再興し、鎌倉時代には落雷、火災による山火事のため焼失した。鎌倉時代、江山という僧侶がここを訪れ、その焼け跡の灰の中から観音像をはじめ脇士などを拾い集めて、観音堂を再興したと伝承されている。江戸時代に入り、津要玄梁和尚が観音堂に参籠した際、江山の残した廃頽の記を発見した。津要玄梁和尚は、享保4年(1719)に、八戸四代藩主広信公をスポンサーとして、その記録を刻んだ梵鐘を、江戸神田粉河の鋳物師に鋳造させ、納めたものがこの梵鐘である。寺下の歴史、江戸時代の八戸地域の歴史を解明する意味でも貴重な遺物と考えれる。』
と書かれていますが、「海潮山應物寺廃頽の記」が「應物寺廃頽の記」と省略されていたり、スポンサーって…せめて寄進と書いて欲しかったと思ったのは私だけでしょうか。
しかも色々省略している割にわかりにくい気がします(苦笑)

梵鐘は撞いてもOKのようでしたので、撞かせていただきました。
とても良い音が響きました。

寺下観音 鐘撞堂
寺下観音 梵鐘 標柱

鐘撞堂の手前には、樹高25.0m、根周合計2.00m、推定樹齢不明のヤマフジの木がありました。
ナラの木に大蛇のように巻きついている姿は、圧巻というより恐怖に近いです。
残念ながらちょうど花が散った後で、足元には淡紫の絨毯が広がっていました。
花が咲いていたらどんなだったのでしょう…

寺下観音 ヤマフジ
寺下観音 ヤマフジ
寺下観音 鳥居

仁王門の階段を下り、鳥居から外に出てお参りは終了です。
鳥居から入っていないので、ちょっと不思議な感じです。
この鳥居から灯明堂まで約1100mだそうです。

寺下観音歴史資料館があったようなので、行けば不明だった石仏の由来など、色々わかったのかもしれません。


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