立派な狛犬もいました。
御祭神 事代主神(コトシロヌシ)
御神体 佛石(仏石・恵比須石)
御利益 家内安全、商売繁盛、豊漁祈願、航海安全
鯨石
昔、鮫浦の海は荒れた日が続いたため、漁に出ることができなくなったことがあったという。
すると、村人の生活はみるみる困窮し、ある日、一人の青年が決死の覚悟でその荒れた海原に臨んだという。
しかし、結局、青年は荒波にさらわれ、死を覚悟した時、一匹の鯨が現れ、彼を救ったという。
村人は鯨に感謝を捧げ、この鯨を鮫浦太郎(八戸太郎)と呼んだ。
以来、鯨が現れると、イワシの大漁を迎えたことから、これは八戸太郎の神恩と称え、海の守り神として崇めたという。
しかし、八戸太郎は、ある日、紀州の海で熊野裏の漁師に銛を刺されて傷つき、当社の前の鮫浦の浜に打ち上げられ、そのまま息絶えて石になったという。
以来、その石は「鯨石」と呼ばれ、当社の境内に祀られているという。
たしかに鯨の姿にそっくりな石がありました。
また、八戸藩日記には以下のように書き残されているそうです。
元文二年頃、大阪から鮫浦へ入港していた通五郎船の楫取の枕もとへ仏石が現れて、鮫浦の海中から引き上げてほしいと頼んだ。
しかし、夢のこととて、彼は気にもかけず出港しようとしたが、恵比須浜に来ると船が動かなくなり、不審に思い、海中を捜したところ、やはり、夢に現れた石があったという。
早速取り上げて、手厚く祀ったところ船が動き出した。
その年は大漁で、以来この浜を「仏浜」、その石を「仏石」とか「地蔵石」と呼ぶようになった。
またある時、八戸藩主八代信真が鮫浦に立ち寄り、地元の者にその名を尋ねると「仏石」と答えました。
信真は地蔵より恵比須神に似ているので、「恵比須石」と改名するように命令し、その日から「仏浜」も「恵比須浜」に改名されました。
文政元年(1804年)3月21日には信真が鯨の大漁を感謝し、恵比須浜へ代参を派遣して青銅30疋を奉納したという記録も残っているとか。
更に1911年に起きた東洋捕鯨鮫事業所焼き討ち事件の際に、西宮神社は消失しましたが、恵比寿石だけは無傷だったと言われています。
境内には色々石がありましたが、仏石(恵比寿石)がどれだかわかりませんでした。
ただ…この石を持ち上げれば願いが叶うという石があったので持ち上げてみました。
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