毎年、1月中にお参りに行くようにしているのですが、今年は2月に突入してしまいました。
節分というイベントの翌週にしても、あまりにも人がいなくてビックリです!
こんなに誰もいない山門の写真が撮れるとは(苦笑)
「山門」
参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。
慶応元年(1865年)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、現在、山内で一番古い建物です。
屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695年)に1,000人の寄進者・人足によって、このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。
東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特にすぐれたものの1つとされています。
形式は、主柱を3.6m間隔に立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた薬医門とよばれるものです。
柱、梁、組物などの材はケヤキ、屋根は切妻の茅葺き、屋根裏板や垂木はスギで造られています。
ケヤキ部分をベンガラで赤色に、スギ部分を黒で塗った、山内唯一の彩色された建物です。
江戸時代の深大寺の建物はほとんどすべて茅葺きでしたが、今では旧庫裡と、この山門だけになってしまいました。
ケヤキは昔、武蔵野では屋敷林として植えられ、建築用材として好んで使われていたものです。
閼伽堂(手水舎)です。
その向こうには水戸黄門の水戸光圀が名付けたという「なんじゃもんじゃの木」があります。
4月末から5月始めにかけて花が満開になり、白いプロペラのように風に吹かれて花が舞い落ちるそうです。
その毎年5月上旬には、なんじゃもんじゃの木の下で、東京消防庁音楽隊による「なんじゃもんじゃコンサート」が開催されています。
境内にもほとんど人がいません💦
「本堂」
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の宝冠阿弥陀如来像は仮に再建した庫裡に安置されていましたが、大正7年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。
正面十間、側面八間(約14.4m)という規模は、昔より少し大きくなっているようです。
外側を雨戸付きの硝子窓とし、腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
旧本堂の正面中央には、入母屋破風の向拝が付いていましたが、今の向拝は唐破風です。
梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍、破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観を一新し、偉容を誇っています。
そういえば、昔は茅葺だった!
西門から出て、延命観音へ。
みなさん西門を出てそのまま坂を下りてしまうので、こちらの参道はほとんど人がいないです。
「延命観音」は、昭和41年秋田県象潟港工事の際に海底の大石を引き上げたところ、慈覚大師自刻の延命観音が刻まれてあり、縁あって深大寺に奉安されたとのこと。
カメラなどでズームにした方が「延命観音」の文字までよく見える気がします。
深沙大王堂参道に七福神の恵比寿尊と大黒天の大石像と、龍の彫刻がありました。
こんなのあったっけ???
”この尊像は当山篤信総代であった故御林清一氏の邸宅の入り口に祀られていたものですが、平成18年に縁あって当地に遷座されました。”
とのこと。
どうりで記憶にないはずです。
境内に戻って鐘楼の方へ行こうとしたら「六畜観世音菩薩」がありました。
これも記憶にない…💧
とても優しく美しいお顔の菩薩様でした。
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