メスキータ

メスキータ アブデラマンⅠ世の外陣

メスキータ(Mezquita-Catedral de Córdoba)に来ました。

メスキータは、歴史的にモスクとして建設された後、レコンキスタを経てキリスト教の大聖堂に改築されたため、イスラム様式とキリスト教様式が共存する奇跡的な聖堂です。
「メスキータ」とは、本来スペイン語でイスラム教の礼拝所「モスク」を意味しますが、メスキータといえば、このコルドバの聖堂のことを指していると思います。。
現在はカトリックの大聖堂なので、正式名称は「コルドバの聖マリア大聖堂(Catedral de Santa María de Córdoba)」です。

プエルタ・デル・プエンテ門を通ってから、西側の外壁に沿って入口を目指して歩きます。
外壁は高い所で20mもあり、迫力がありました。
門も複数あり、それぞれ宗教的・歴史的意味が込められています。

メスキータの外壁

西側には8つの門があります。
南側から順番に…
サバト門(Puerta del Sabat)
サン イルデフォンソ門(Puerta de San Ildefonso)
サン ペドロ門(Puerta de San Pedro)
聖霊の門(Puerta del Espíritu Santo)
サン ミゲル門(Puerta de San Miguel)
サン エステバン門(Puerta de San Esteban)
ディーンズ門(Puerta de los Deanes)
ミルク門(Postigo de la Leche)

メスキータの西側の門

聖霊の門(Puerta del Espíritu Santo) 」です。

イスラム建築の典型である馬蹄形アーチが門の上部に見られるファザードです。
ムデハル様式の幾何学文様や植物モチーフも施され、イスラム美術の精緻さを示しています。
重厚な木扉には鉄製の装飾が施されています。

サン エステバン門(Puerta de San Esteban)が855年に出来た最古の門でしたが、あまりにもシンプルだったので、写真を撮り損ねました💧

東側には行けなかったのですが、東側にも9つの門があります。

メスキータ 聖霊の門

北側に来ました。

高さ約54mの「鐘楼(Torre del Campanario)」です。

イスラム時代(785年〜)、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世によって建設されたモスクの一部として、礼拝の呼びかけ(アザーン)を行うためにミナレットが設置されました。
キリスト教時代(13世紀以降)、レコンキスタ後にモスクはカトリック教会に転用された際に、ミナレットは鐘楼へと改築されました。
更に、16世紀に地震で壊れたことにより大規模な改築が行われ、ルネサンス様式の鐘楼がイスラム時代のミナレットを包み込むように建てられました。
そのため、内部にはイスラム時代のミナレットの一部が残されており、外部はルネサンス様式の石造り、鐘楼部分にはキリスト教的な彫刻や窓枠装飾が施されており、イスラム建築とキリスト教建築が融合した塔になっています。

新しい大聖堂の塔は、建築家エルナン・ルイス3世の設計によって建てられ、鐘の部分まで完成しました。
その後、建築家フアン・セケロ・デ・マティーリャが時計部分を追加し、ガスパール・デ・ラ・ペーニャが灯籠(塔の最上部)を設計しました。
その灯籠の上には、ペドロ・デ・ラ・パスとベルナベ・ゴメス・デル・リオによる聖ラファエル像が据えられています。

塔の上部は展望台になっており、コルドバの街並みを見下ろすことが出来るそうです。

メスキータ 鐘楼

鐘楼の下にある「免罪の門(Puerta del Perdón)」から中に入りました。

入場券です。
入れるまで時間があるので、オレンジの中庭・中庭回廊をウロウロしました。

メスキータ 入場券

オレンジの中庭(Patio de los Naranjos)」です。
かつてイスラム教徒が礼拝前に沐浴をして身を清めた場所です。
オレンジの木は約100本もあり、行った時には実がなっていました。
中庭には噴水もあり、サンタ・マリアの噴水(Santa María fountain)越しに見える聖堂が入場券の図案だと気付きました!

メスキータ オレンジの中庭

メスキータ サンタ・マリアの噴水
メスキータ オレンジの中庭

周囲には約50m×130mの回廊がありますが、イスラム時代には存在しておらず、1236年に遡る史料の中に「サンタ・マリア回廊」との記述が登場するそうです。
3つの回廊はマルティン・フェルナンデス・デ・アングロ司教の在位中(1510-1516)に、建築家エルナン・ルイス1世の依頼で再建されたことは判明しています。
現在の庭園はフランシスコ・レイノソ司教(1597-1601)の設計によるものです。
回廊には、元々この場所に建てられていた西ゴート王国時代のカトリック教会「聖ビセンテ教会」に使用されていた梁や天井板が飾られていました。

メスキータ 中庭回廊

メスキータ 中庭回廊
メスキータの内部地図
オレンジの中庭
① 鐘楼・免罪の門
② サンタ・マリアの噴水
③ 中庭回廊

栄光の門から中に入ると、すぐ右手に「サン アンブロシオ礼拝堂(Capilla de San Ambrosio)」がありました。
メスキータ内部の側廊にある小礼拝堂のひとつで、聖アンブロシウス(San Ambrosio)が祀られています。
聖アンブロシウスは4世紀のミラノ司教で、教父の一人です。
教会音楽や典礼の発展に貢献した人物でもあります。
ゴシックやルネサンス様式の影響を受けた装飾が見られます。

入ってすぐ過ぎて礼拝堂だとも思わず…
祭壇画を正面からきちんと写真を撮るべきでした。

メスキータ サン アンブロシオ礼拝堂の祭壇画

入口の正面には、「円柱の森(Bosque de Columnas)」と呼ばれる、赤白の縞模様アーチが連なる空間が広がっていました。
約850本の柱が並び、幻想的な雰囲気を醸し出していてため息が漏れました。
本当に”森”という言葉がピッタリです。

最初に広がっているのは「アブデラマンⅠ世の外陣」です。

785年にアブド・アッラフマーンⅠ世によって最初に建てられたモスク部分です。
「アルジャマ・モスク(Mezquita Aljama)」と呼ばれていました。
アルジャマ・モスクは、ダマスカスのモスクとエルサレムのアル・アクサ・モスクに着想を得たバシリカ様式の平面図を採用しています。

メスキータ アブデラマンⅠ世の外陣

キブラ壁に垂直に11の身廊に分割された空間は、アーチを重ねた構造になっています。
ローマ時代の水道橋をモデルにしているそうです。
柱の数は約11列×12行=132本で、1本1本の装飾も違っています。

アーチは上部が半円形、下部が馬蹄形の二重になっており、赤と白の交互の石材によるストライプ模様が特徴です。

ヘレニズム、ローマ、西ゴート美術の豊かな影響が感じられるこの建築様式は、この建物の構造的発展を決定づけただけでなく、世界建築史にも多大な影響を与えました。
ローマ時代や西ゴート時代の建築から再利用された柱や資材(スパリアル建築)も使われていました。

メスキータ アブデラマンⅠ世の外陣

壁はストレッチャーとヘッダーボンド方式で敷かれた石灰岩の切石で造られているのに対し、元の床は突き固めた土の上に厚いモルタルの層を敷き詰めて作られていました。
屋根は、外部は切妻屋根のデザインである一方、内部は彫刻装飾が施された木製の梁で構成されています。
中庭回廊に飾ってあった梁と同じものです。

メスキータ アブデラマンⅠ世の外陣
メスキータの内部地図
アブデラマンⅠ世の外陣
④ 栄光の門
⑤ サン アンブロシオ礼拝堂

アブデラマンⅡ世による増築部分」です。

848年、人口増加に対応するために、礼拝空間が拡大されました。
初代アブデラマンⅠ世の構造を踏襲しつつ、南側へ8列分の柱廊を追加しました。
柱の配置がⅠ世の部分と連続しているため、建築的な継ぎ目が分かりにくいですが、Ⅰ世の部分よりやや装飾が増し、柱頭やアーチの彫刻に繊細さが加わっているので、柱の様式や装飾の違いに注目すると識別出来ます。

メスキータ アブデラマンⅡ世の増築部分
メスキータ アブデラマンⅡ世の増築部分

聖堂内陣の裏にあたる部分は、礼拝堂の南側への拡張により、元のキブラ壁を壊して新たなキブラ壁が建設されたため、アブデラマンⅠ世の部分とはかなり異なって感じます。
一番イスラム教とキリスト教が融合しているように感じた、不思議な空間でもありました。
アーチの上にも装飾が追加されています。

メスキータ 聖堂内陣の裏側
メスキータ アブデラマンⅡ世の増築部分

聖歌隊席の裏を通り抜けたすぐ先に「雪花石膏」の柱がありました。
ほぼ全ての柱が大理石、ジャスパー、花崗岩で修復されているのですが、この2本だけ、建築当時の雪花石膏(アラバスター)となっています。
雪花石膏とは含水硫酸カルシウムなので非常に柔らかく、彫刻などの加工をしやすい反面、硬度が低いために摩耗や破損に弱く、耐久性が低いので現存しているのがこの2本となっているようです。

光を当てると透過するので、持参したライトやスマホのライトを当てて説明しているガイドさんが大勢いました。
私たちのガイドさんは「雪花石膏」という漢字で書かれた紙を用意してくれていて、忘れないように一緒に写真を撮るよう勧めてくれました。

メスキータ「雪花石膏」の柱
メスキータの内部地図
アブデラマンⅡ世による増築部分
⑥ 雪花石膏の柱

アルハケム2世の増築部分(Expansion of Al-Hakam II)」です。

961–976年、後ウマイヤ朝の第2代カリフであるアルハケムⅡ世(Al-Hakam II)によって、南側に更に12本の身廊が拡張された部分です。
構造的には、これまでの二重アーチ構造を踏襲しつつ、一番栄えていた時代を反映するように、より洗練された技術と装飾が導入されていました。
マクスーラ(王の礼拝空間)とミフラーブ(聖龕)もこの時に増築された部分です。

メスキータ アルハケム2世の増築部分
メスキータ アルハケム2世の増築部分

ビジャビシオサ礼拝堂(Capilla de Villaviciosa)」です。

アルハケムⅡ世(Al-Hakam II)によって961年頃に建設された時は「マクスーラ(Maqsura)」と呼ばれる王族専用の礼拝空間でした。
レコンキスタ後、キリスト教徒によって「ビジャビシオサ礼拝堂(Capilla de Villaviciosa)」として改装され、イスラム建築を踏襲したムデハル様式の礼拝堂となりました。
メスキータ内に造られた、聖母マリアに捧げられた最初のキリスト教の聖堂です。

赤白のストライプ模様の二重アーチなど、イスラム時代のマクスーラの構造を活かしつつ、キリスト教の祭壇空間として再構築されています。
ルセルナリオ(lucernario)と呼ばれる光窓があり、自然光が差し込む設計となっています。
1236年6月29日にカトリック礼拝への奉献式が行われた際、主祭壇はルセルナリオの下に設置されました。

メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂

王室礼拝堂(Royal Chapel)」の内部には入れませんでしたが、キリスト教的な祭壇や聖母像が設置されているそうです。
窓のようなところから少しだけ中が見え、祭壇の一部を見ることが出来ました。

この元々の主礼拝堂には、1351年に遡るイタリア・ビザンチン様式の影響を受けた一連のフレスコ画が描かれています。
聖人と王を描いた連作は、アロンソ・マルティネスの作品です。
この絵画群のうち、現在残っているのは「キリストの頭部」のみで、コルドバ美術館(Museo de Bellas Artes de Córdoba)に展示されています。

メスキータ 王室礼拝堂

頭上の花弁装飾のアーチと8本のリヴが交差するドーム天井にも目を奪われました。
”王室礼拝堂”という名にふさわしい豪華さでした。

メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂
メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂のドーム

メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂のアーチ

ビジャビシオサ礼拝堂の前から西側を見ると、「サンビセンテ博物館(Museo de San Vicente)」と呼ばれる場所が見えました。
壁面に聖ビセンテ教会の遺跡を展示しているのですが、そこを博物館と呼んでいるようです。
仕切りなど何も無いので、博物館と言われてもピンときませんでした。

1931年から1936年にかけて、大聖堂の学芸員で建築家のフェリックス
・エルナンデスが、礼拝堂の最も古い部分(アブデラマンⅠ世の外陣)と中庭で考古学的発掘調査を行い、モザイク、柱頭、柱などの遺跡の一部を発見しました。
それらが展示されているそうです。

このビジャビシオサ礼拝堂の身廊にあたる部分は通り抜けることが出来ないので、この展示エリアを見るにはアルハケム2世の増築部分に壁沿いに入らなければならなかったようです。

ちなみに発掘調査は1990年代など、近年も実施されているそうです。
アブデラマンⅠ世の外陣にガラスの床を作って、地下の遺跡が見えるようになっている場所もあったようですが、気付かずに通過してしまいました…

メスキータ サンビセンテ博物館

ミフラーブ(Mihrab)」はキブラ壁の中央、マクスーラのエリアにあります。
宝物庫とサバトの扉の間に位置し、アルハケムⅡ世がアルジャマに貢献した、イスラム教礼拝空間の中でも最も神聖な場所のひとつとなっています。
ミフラーブとは、モスクの壁に設けられた半円形の窪みで、礼拝者がメッカの方向を認識するための指標となっており、通常南向きなのですが、このメスキータは南東向きになっています。

中には入りませんでしたが、内部は八角形の部屋となっており、大理石の台座がそびえ立ち、台座の周囲にはコーランのスーラと、その制作者を暗示する碑文が刻まれているそうです。
最上部の壁パネルには、三つ葉のブラインドアーチと、様式化された植物のモチーフが豊かに装飾されており、天井はホタテ貝型のドームになっているそうです。

入口は馬蹄形の傾斜アーチで、そこにはビザンツ帝国の伝統を継承する金の豪華なモザイク装飾が施されています。
このモザイクは、ニケフォロス2世皇帝が派遣したコンスタンティノープルの職人によって制作されました。
幾何学模様や植物をモチーフにしたデザインは、ヴッソワールに沿って広がるだけでなく、コーランの詩句を刻んだ碑文にも見られます。
モザイクの豊かさをさらに際立たせているのは、様式化された植物のモチーフが描かれた板で、「生命の樹」という主題を表現したものです。

メスキータ ミフラーブ

中が見えるミフラーブの左右にも扉がありましたが、こちらは閉まっているため、中を見ることも出来ませんでした。

中央のドームにも入口と同じように幾何学模様や植物のモチーフ、コーランの詩句を刻んだ碑文が描かれており、イスラム教の様式でした。
左右の入口頭上にもそれぞれドームがありましたが、そちらはビジャビシオサ礼拝堂のように8本のリヴが交差するもので、キリスト教の様式でした。

メスキータ ミフラーブ
メスキータ ミフラーブのドーム
メスキータ ミフラーブの左側

サンタテレサ礼拝堂(Chapel of Santa Teresa)」です。
ミフラーブの横にある木の扉から中に入りました。
聖テレサの祈願のもとに設立されたサラザール枢機卿の礼拝堂です。

ペドロ・デ・サラザール・グティエレス・デ・トレド(Pedro de Salazar Gutiérrez de Toledo)は、枢機卿(Cardenal)としてローマ教皇庁でも高位聖職者として活動し、教育・宗教・芸術の振興に貢献したことで知られています。

この礼拝堂はフランシスコ・ウルタド・イスキエルドによって、1697年~1712年の15年をかけて建設されましたが、サラザール枢機卿は1706年に亡くなってしまったので、完成を見ることが出来ませんでした。
礼拝堂が未完だったために、最初はコルドバの「サン・パブロ修道院(Convento de San Pablo)」に埋葬され、完成と同時にこの礼拝堂に改葬されました。

2本のドーリア式の柱で縁取られ、黒と赤の大理石で造られた半円形のアーチで形成された入口です。
礼拝堂出入り口の壊れたコーニスには、サラザール枢機卿の紋章が描かれています。
重厚な木の扉を抜けると、八角形の部屋がありました。

メスキータ サンタテレサ礼拝堂の入口

部屋に入ってすぐ正面にあるのは、エンリケ・デ・アルフェ作の「聖体顕示台(Custodia procesional)」です。
エンリケ・デ・アルフェはドイツ出身の金細工師で、レオンとトレドの聖体顕示台も制作したそうなのですが、そちらは現在行方不明とか…

聖体顕示台は高さ2.63m、重さは200㎏を超える大きなもので、何度か修復されています。
ゴシック様式で12角形の平面図を持ち、フライング・バットレスと尖塔を持つ2つの胴体部分から構成されています。
下部には聖体を安置するガラス片「ヴィリレ」が収められ、上部には聖母被昇天像が収められています。
元々は「キリストの復活」像が収められていましたが、ベルナベ・ガルシア・デ・ロス・レイエスが修復した際に、ミラノで制作されベルナルド・ブラスケス参事会員から寄贈された銀製の「聖母被昇天」像に置き換えられました。

オリジナルの台座の高さはわずか55mmです。
祭りの秘儀の踊りが半浮き彫りで彫刻されており、契約の箱の前で踊るダビデ王から始まり、聖歌隊員や町のその他の登場人物が続き、ハイライトには楽器を持った12人の天使、同数のセラフィムと花が描かれ、合わせて115個ものピースで出来ています。
尖塔で区切られた小さな礼拝堂で構成されており、受胎告知から聖トマスの出現まで、キリストの生涯を描いた18の場面が描かれています。

男性像の神殿は東方三博士の礼拝を描いた六角形の台座の上にあり、1966年の最後の修復時に、その男性像にダイヤモンドの光輪が付けられたそうです。

頂上には、復活して勝利を収めたキリストの像があります。

メスキータ 聖体顕示台

特にフリーズ(帯状装飾)部分に描かれた、イエス・キリストの生涯と受難は見事でした。

18個の全面浮き彫りのメダイヨン、24個の格子状の装飾、24本の小柱、そして6つの間の装飾部分に以下の場面が表現されています。
復活(Resurrección)、受胎告知(Anunciación)、キリストの誕生(Nacimiento)、東方の三博士の礼拝(Adoración de los Reyes Magos)、エジプトへの逃避(Huida a Egipto)、エルサレム入城(Entrada en Jerusalén)、鞭打ち(Azotes)、エッケ・ホモ(Ecce Homo:「この人を見よ」)、受難(Pasión)、十字架刑(Crucifixión)

メスキータ 聖体顕示台

聖体顕示台の向こう、礼拝堂の正面ファサードにあるのは「聖テレサの中央祭壇(Altar de Santa Teresa)」です。

新古典主義のスタッコ(漆喰)の祭壇の聖櫃にはキリストの埋葬を描いた金銅のレリーフがありました。
これはイタリア人芸術家ヴィルジリオ・カステッリの作品で、サラザール枢機卿がローマから持ち帰ったものです。
中央の壁龕には、1705年頃にホセ・デ・モラが制作したとされる聖テレサの像があり、その上のコーニスには、父なる神を描いた円形のレリーフがありました。

メスキータ 聖テレサの中央祭壇

聖テレサの中央祭壇から右回りに…

聖ラファエロのロエラス神父への出現(The appearance of Saint Raphael to Father Roelas)」です。

17世紀のコルドバはペストの猛威が街を襲い、人々は不安と絶望の中にありました。
そんな中、アンドレス・デ・ロエラス神父(Andrés de las Roelas)のもとに「ラファエロ」が現れ、
『私はこの都市の守護者である。神の命により、私はこの地を守る。』
と告げました。

この神秘体験は瞬く間に広まり、疫病に苦しむ市民たちに希望をもたらしました。
ペストは終息すると、人々はこの出来事を「聖ラファエロの奇跡」として語り継ぐようになりました。

聖ラファエロは、旅人の杖と魚、薬壺を持つ姿で描かれることが多いのですが、コルドバでは都市を見守る守護者として、堂々とした立ち姿で表現されることが多いそうです。
10月24日の「聖ラファエロの日」には、ミサやパレードなどが行われています。

メスキータ 聖ラファエロのロエラス神父への出現

聖母被昇天(La Asuncion)」です。

聖母被昇天とは、聖母マリアが地上の生涯を終えた後、肉体と霊魂の両方が天に引き上げられたとするカトリック教会の教義です。
この出来事は、聖書に明確な記述はないものの、初期キリスト教の伝承に深く根ざしており、長い年月を経て信仰の中心的な柱となりました。1950年11月1日、教皇ピオ12世によって使徒憲章『Munificentissimus Deus(恵みあふれる神)』の中で正式に定義され、マリアが「地上の生涯を終えた後、肉体と霊魂の両方が天の栄光に迎えられた」と宣言され、カトリック信者にとって信仰上の確固たる真理となりました。

この主題は多くの画家が描いており、特にエル・グレコのトレドでのデビュー作である「聖母被昇天」は、傑作と言われています。
バロック期には、空に舞い上がるマリアの姿が典型的な構図となり、信仰と美の融合が見事に表現されました。

この絵の下にはサラザール家の地下納骨堂へのドアがありました。

左側の像はアッシジの聖フランチェスコ(San Francisco de Paula)です。

メスキータ 聖母被昇天

サラザール枢機卿の墓(Tomb of Cardinal Salazar)」です。

墓は黒大理石で建てられ、像と装飾は白大理石です。
祈る枢機卿の像は、天使像が支える天蓋の下に置かれています。
元々の墓は、テオドシオ・サンチェス・デ・ルエダ、フアン・プリエト、ドミンゴ・レミコの3人によって建てられましたが、サンタ・テレサ礼拝堂に改葬された際に、合わせて調整されました。
墓の正面には、枢機卿の紋章と次の枢機卿の墓碑銘が刻まれています。

Aquí yace Pedro de Salazar, cardenal de la Santa Cruz de Jerusalén, obispo de Córdoba, defensor de los pobres, fundador de hospitales, y servidor fiel de Dios.
「ここに眠るペドロ・デ・サラザール、エルサレム聖十字の枢機卿、コルドバ司教。貧しき者の守護者、病院の創設者、そして神の忠実なる僕。」

メスキータ サラザール枢機卿の墓
メスキータ サラザール枢機卿の墓

足元のライオンに関する情報はないのですが、スペインにおけるライオンは、王権・勇気・力の象徴なので、宗教美術によく登場します。
右側の像は「聖レイモンド・ノンナトゥス(San Ramón Nonato)」です。

「サラザール枢機卿の墓」の隣が、礼拝堂の入口の面です。

聖フェルナンド3世によるコルドバの征服(The conquest of Cordoba by Fernando III the Saint)」です。

13世紀初頭、イベリア半島はイスラム勢力とキリスト教王国の間で激しい攻防が続いていました。
そんな中、カスティーリャ王フェルナンド3世(San Fernando)は、レコンキスタ(国土回復運動)を推進する中心的な存在として台頭しました。
彼の最大の功績のひとつが、1236年のコルドバ征服です。

コルドバはかつて後ウマイヤ朝の首都として、イスラム文化の黄金期を築いた都市でしたが、ムワッヒド朝の衰退により都市の防衛力は弱まっていました。
フェルナンド3世はこの好機を逃さず、軍を率いてコルドバを包囲し、街のキリスト教徒の協力を得て、掌握しました。
この征服により、メスキータはキリスト教の大聖堂へと転用されることになりました。

左側の像はパドヴァの聖アントニオ(Saint Anthony of Padua)です。

メスキータ 聖フェルナンド3世によるコルドバの征服

無原罪の御宿り(Inmaculada Concepción)」です。

無原罪の御宿りとは、聖母マリアがアダムとイヴの原罪を免れて生まれたというカトリック教義であり、スペインでは特に重要視され、絵画や彫刻に豊かに表現されてきました。
聖母マリアが天使に囲まれ、純潔と神聖さを象徴する姿で描かれています。
この主題も、バルトロメ・エステバン・ムリーリョやエル・グレコが描いた作品があります。

この「無原罪の御宿り」と「聖母被昇天」のどちらもグラナダ派のホセ・デ・モラの工房の作品で、17世紀後半に制作されました 。
カンバスの額縁は、テオドシオ・サンチェス・デ・ルエダが彫刻と金箔を施しました。

メスキータ サンタテレサ礼拝堂
メスキータ 無原罪の御宿り

右側の像は「聖ドミニコ・デ・グスマン(Saint Dominic de Guzmán)」です。

聖アクロスと聖ビクトリアの殉教(The Martyrdom of Saint Acisclus and Saint Victoria)

4世紀初頭、聖アクロス(アキスクルス)と聖ビクトリアは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる大規模なキリスト教徒迫害によって殉教したとされる、スペインのコルドバの兄弟姉妹です。 

アクロスは火刑や剣による拷問を受けた後、斬首刑に処され、ビクトリアは矢で射られた後、剣で命を絶たれたと伝えられています。
その殉教は304年頃とされ、兄妹の信仰と絆は、コルドバの人々の心に深く刻まれることになりました。
そのため、聖アクロスは剣や炎、殉教のパーム(勝利の枝)を持つ姿、聖ビクトリアは矢や冠を持つ姿で描かれることが多く、兄妹が並んで描かれることで、信仰と家族の一致が象徴されています。

「聖ラファエロのロエラス神父への出現」
「聖フェルナンド3世によるコルドバの征服」
「聖アクロスと聖ビクトリアの殉教」
この3作はブルサボリト出身の アントニオ・パロミノが、コルドバ市で起こった歴史的エピソードを描いた、1712年に制作した作品です。

3つのアーチには18世紀の箪笥が置かれ 、上部のガラス戸棚には銀食器などが収められています。
高さの感覚がおかしくなるのですが、ガラス戸棚の辺りが頭の位置になり、絵はかなり高い所に飾られています。

メスキータ 聖アクロスと聖ビクトリアの殉教

礼拝堂上部には「cuerpo de luces(光の構造体)」と呼ばれる採光装置が設けられ、自然光が差し込むことで空間全体が霊的な輝きに包まれるようになっています。
これは、神の啓示と枢機卿の魂の照らしを象徴する建築的工夫です。

礼拝堂は八角形の部屋に合わせたリブ付きのドームで覆われており、ドラム部分には8つの窓が開けられています。
ドームの立面には、漆喰細工で重厚に装飾された大きなピラスターがあり、8つの半円形のアーチを支えています。
アカンサスの葉のモチーフを繰り返した漆喰細工は繊細で、白さもあって美しかったです。

メスキータ サンタテレサ礼拝堂のドーム

8本のピラスターの前には、8人の聖人の像がありましたが、全ては撮れていませんでした…

<8人の聖人>
聖レイモンド・ノンナトゥス(San Ramón Nonato)
聖アウグスティヌス(Saint Augustine)
アッシジの聖フランチェスコ(San Francisco de Paula)
聖ベルナルド(Saint Bernard)
聖ペテロ・ノラスコ(Saint Peter Nolasco)
聖ドミニコ・デ・グスマン(Saint Dominic de Guzmán)
パドヴァの聖アントニオ(Saint Anthony of Padua)
聖フランシスコ・デ・サレジオ(Saint Francis de Sales)

メスキータ サンタテレサ礼拝堂

「無原罪の御宿り」の下の扉を抜けると聖具室(宝物庫)がありました。

聖体顕示台(Urna eucarística)」がありました。
1595年、セバスティアン・デ・オカンポによって制作されました。
金、銀、ブロンズ、宝石が用いられ、天使や聖人、聖杯が飾られています。

フライ・ディエゴ司教の十字架(Cruz procesional del obispo fray Diego)」など、数多くの十字架がありました。
荘厳な金銀細工の十字架は、宗教行列(プロセシオン)で用いられる重要な典礼具です。

マリア像もありました。

メスキータ 聖体顕示台
メスキータ フライ・ディエゴ司教の十字架
メスキータ マリア像

奥に部屋が続きます。

メスキータ 聖具室

2つ目の聖具室です。
天使や聖人の像、典礼用の器具や供物を載せるための銀製トレイ、燭台、儀式用ゴブレットが飾られ、煌びやかでした。

メスキータ 聖具室
メスキータ 聖具室

出口の左にはマリア像、右側には聖ラファエル像がありました。

メスキータ マリア像
メスキータ 聖ラファエル像

出入りのできない木の扉がありましたが、こちらの彫刻と金の装飾も見事でした。
このサンタテレサ礼拝堂から聖具室は一方通行で、聖具室の方から入ることは出来ません。

メスキータ 聖具室の木の扉
メスキータの内部地図
アルハケムⅡ世の増築部分
⑦ ビジャビシオサ礼拝堂
⑧ 王室礼拝堂
⑨ サンビセンテ博物館
⑩ ミフラーブ
⑪ サンタテレサ礼拝堂・聖具室

アルマンゾールの増築部分(Al-Mansur Ibn Abi Aamir)」です。

987年頃、イスラム教徒の人口増加と宗教的需要に応えるため、宰相アルマンゾール(Al-Mansur Ibn Abi Aamir)が東側に増築した広大な空間です。
この拡張部分は、他の時代の増築とは違って、装飾性よりも機能性が重視されました。
そのため、柱の間隔は狭く均質なリズムで並び、アーチも馬蹄形は維持されているものの、赤と白は石とレンガの交互使用ではなく、塗料で模倣されているなど、建物を構成する伝統的な軸線を喪失させてしまいました。
彫刻やモザイクなどの装飾も控えめで簡素化されています。

宝物庫を出ると目の前にはガラスケースの展示物がありました。
サンクレメンテ博物館(Museo de San Clemente)」と呼ばれる場所です。
古い礼拝堂の出入り口、鐘、古い時計仕掛け、タイル、柱頭、元の梁の破片、アラビア語の碑文など、記念碑に関連するさまざまな品々が展示されていました。

元々この場所には13世紀にアルフォンソ10世賢王によって建立されたサンクレメンテ礼拝堂がありましたが、19世紀に消滅してしまったそうです。
その後改装され、1996年に博物館として公開されました。
つい最近のことです。

メスキータ サンクレメンテ博物館

アルマンゾールの増築部分にある柱には、寺院の建設に協力した石工の署名が残されています。
この署名の鋳型は宝物庫を出たすぐ右に展示されています。

メスキータ 石工の署名が入った柱
メスキータ 石工の署名

サンタイネス礼拝堂(Capilla de Santa Inés)」です。

宝物庫の外側にあたる場所にあり、更に暗かったのでので気付かず、振り向いて気付きました。

この礼拝堂は、カスティーリャ王アルフォンソ11世の公証人であったカストロ・ペル・アルフォンソ大司教によって、1350年から1363年にかけて、アルフォンソ11世の遺体を安置するために建立されました。
その後、1481年にカストロ・ルイ・メンデス・デ・モラレス大司教によって再度建立されました。
現在の礼拝堂は、1761年にフランス人建築家バルタザール・ドレベトンによって設計されたものです。

礼拝堂は四角形で、天窓のあるヴォールト天井で頂点を成し、ペンデンティブ、装飾、そして漆喰細工によって支えられています。

祭壇画は、1761年にフランス人芸術家ミゲル・ヴェルディギエによって制作されたものです。
彼はモスク・カテドラルの説教壇も設計しました。
祭壇画は、両側にコリント式の柱頭を持つ柱が並ぶニッチで構成されています。
聖イネス(アグネス)像の正体は細長く、聖人を包むぴったりとしたローブの多彩色装飾は金で施されています。
聖霊は祭壇画の屋根裏部屋に鳩の形で描かれています。

メスキータ サンタイネス礼拝堂

キリスト・デル・プントの祭壇(Santísimo Cristo del Punto)」です。

グラナダ出身の彫刻家 テオドシオ・サンチェス・デ・ルエダ(Teodosio Sánchez de Rueda)の作品です。
司教アントニオ・M・デ・パソスによって寄贈された「磔刑のキリスト像(Cristo crucificado)」の下には、それを支えるように作者不詳の「聖セバスティアン(San Sebastián)の像」がありました。
アーチの上にあるのは円形の聖母画です。

メスキータ キリスト・デル・プントの祭壇

サンタマルタの祭壇(Altar de Santa Marta)」です。

1602年にファン・デ・オルトゥーニョが作成した金箔を施したバロック様式の木製祭壇です。
彫刻と金箔が施されたこの木製の祭壇は、高さ6.2m、幅4.1mと、大きなものでした。

*虫食いや金箔の剥がれの修復が2020年~2023年に行われたそうです。

メスキータ サンタマルタの祭壇

「キリスト・デル・プントの祭壇」と「サンタマルタの祭壇」があるのは、アルマンゾールの増築部分とアルハケムⅡ世の増築部分の境です。

メスキータ キリスト・デル・プントの祭壇
メスキータの内部地図
⑫ サクラメンテ博物館
⑬ サンタイネス礼拝堂
⑭ キリスト・デル・プントの祭壇
⑮ サンタマルタの祭壇

主礼拝堂(Capilla Mayor)」です。

主礼拝堂の前には翼廊があり、椅子が並べてありました。
ここでミサなどが行われます。
主礼拝堂の左右には説教壇もありました。

メスキータ 翼廊

主礼拝堂は、イスラム建築の柱の森の中に挿入された壮麗なラテン十字型の礼拝堂です。

アロンソ・デ・マンリケ司教は、広大な柱の森の中に新たな主礼拝堂の建設を計画し、1523年、エルナン・ルイスⅠ世によって開始されました。
彼の息子であるエルナン・ルイスⅡ世は、翼廊の壁を高くして、8本のバットレスで補強。
更に、翼廊の腕と主礼拝堂のゴシック様式のヴォールトも建設しました。

主祭壇画(Retablo Mayor)」です。

主礼拝堂の祭壇画は1618年に建設が始まり、アロンソ・マティアスによりマニエリスム様式で設計されました。
1627年に建築作業はフアン・デ・アランダ・サラザールにより継続され、祭壇画は1653年に完成しました。
彫刻は芸術家セバスティアン・ビダルとペドロ・フライレ・デ・ゲバラによるものです。
オリジナルの絵画はクリストバル・ベラの作品でしたが、1715年にアントニオ・パロミノの作品に置き換えられました。

祭壇画は複合柱で囲まれた3つの部分に分かれています。
中央の部分には、ペドロ・フライレ・デ・ゲバラにより制作された聖櫃が基部に配置され、上部には聖母被昇天のキャンバスがあります。
側面の部分には4人の殉教者のキャンバスがあり、下半分には聖アキスクロスと聖ビクトリア、上半分には聖ペラヨと聖フローラが描かれています。
上部のキャンバスの両側には聖ペテロと聖パウロの彫刻が置かれ、中央部には父なる神のレリーフが飾られています。

メスキータ 主祭壇画

翼廊を挟んで主礼拝堂の反対側にあるのが「聖歌隊席(Coro)」です。

1748年から1757年の間にペドロ・ドゥケ・コルネホによって制作されました。
この聖歌隊席は主にマホガニーで彫刻されており上部に30席、下部に23席の列があり、すべての席に彫刻が施されています。
上段の席のレリーフでは右側にイエス・キリストの生涯、左側に聖母マリアの生涯が描かれ、小さなメダリオンはすべて旧約聖書の場面です。
下段の席にはコルドバの殉教者の場面が描かれており、全て違う図案になっています。

トレドの大聖堂を見ていなければ感動したと思うのですが…トレドの大聖堂が凄すぎました。

トレドの大聖堂のレポートはこちら

メスキータ 聖歌隊席

聖歌隊席の中央にあるのは「司教座(Trono episcopal)」です。

青銅の手すりで閉じられた階段の上にあります。
ペドロ・ドゥケが1748年に設計したことが、パネルの後ろにある署名でわかります。
「Facies opera Dominum magistrum Petrus Cornexo anno domini 1748」。

司教の玉座にはコルドバの守護者である大天使ラファエロの彫刻が飾られ、両脇には思慮分別と節制の寓意が飾られています。
中央部分にはキリストの昇天が描かれ、両脇には聖マグダラのマリアと聖テレサの等身大の彫刻のあるニッチがあります。
下部には、左から順に、パドヴァの聖アントニオ、幼子を抱く聖ヨセフ、ピラールの聖母、反逆の天使たちを倒す聖ミカエル、説教する聖ビンセント・フェレールの5つの大きなメダリオンがあります。
最後の3つは、ミゲル・ビセンテ・セブリアン司教のサラゴサ出身と彼の2つの名前へのオマージュです。
小さなメダリオンには、聖ペテロと聖パウロの生涯の場面が描かれています。
扉の上には、聖アグネスと聖カタリナを描いた2つのトンドと、勇気と正義を象徴する横たわる像があります。

メスキータ 司教座

玉座の足元には双頭の鷲の形をしたひざまずき台が置かれており、これにはセブリアン司教の紋章が描かれています。

メスキータ 双頭の鷲の形をしたひざまずき台

バロック期の木工芸術の粋を集めた「格天井(アルテソナード)」も見事でした。

メスキータ 聖歌隊席の天井

司教座の前から主祭壇を見ると、翼廊の上部にあるドームが良く見えます。

聖歌隊席の左右には17世紀に作られ、19世紀初頭にパトリシオ・フリエルによって修復されたオルガンがありました。

メスキータ 主礼拝堂

南側にあるのは「エピストル・オルガン」です。

このバロック・オルガンは、1700年にオルガン製作の名匠ホセ・アントニオ・コルメネロによって製作されました。
聖セシリアの像で飾られたトンドがあり、その上には寓意的な彫刻があります。
2つの鍵盤と5つの小部屋があります。

メスキータ 聖歌隊席のエピストル・オルガン

反対側の北側にあるのは、「ゴスペル・オルガン」です。

1666年にバレンシア出身のミゲル・リョプ兄弟とベルナベ・リョプ兄弟に依頼されて製作され、1892年にはオルガン製作の名匠ジャン=バティスト・ギスによってレジスターが拡張されました。
このシンフォニックオルガンはデジタル化されており、3つの鍵盤、3,500本のパイプ、48組のオルガンセットを備えています。

メスキータ 聖歌隊席のゴスペル・オルガン

これで見学は終了です。
真ん中を歩いた感じです。
柵があってほとんど入れないのですが、周囲の壁面には数多くの礼拝堂があります。
*図の小さな四角部分です。
北側に10、西側に9、南側に6、東側に13と38もあります。
ところどころに祭壇も多くあり、じっくり見るには丸一日くらい欲しいです。

サクラメンテ博物館の奥にある「聖体礼拝堂教区(Parroquia del Sagrario)」と、王室礼拝堂の隣にあった2016年に改装されたばかりの「聖パウロ改宗礼拝堂(Chapel of the Conversion of Saint Paul)」は見たかったです。
ツアーなので仕方ない…

メスキータの内部地図
⑯ 主祭壇
⑰ 翼廊
⑱ 聖歌隊席

最後にステンドグラスを撮って外に出ました。

メスキータ
メスキータ ステンドグラス

公式サイトにメスキータの変化がとてもわかりやすい図解がありました。

コルドバ歴史地区は1984年に世界遺産に登録され、1994年に拡張されています。

世界遺産

スペインツアーの旅行記はこちら⇒ゆっきー旅行記~スペイン編~


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