キリスト教徒の王たちのアルカサル

キリスト教徒の王たちのアルカサル

「キリスト教徒の王たちのアルカサル(Alcázar de los Reyes Cristianos)」が見えて来ました。
正式名称は「カトリック両王のアルカサル」で、イスラムとキリスト教の文化が交錯する壮麗な宮殿要塞です。

元々この場所には西ゴート王国の要塞が存在していましたが、ウマイヤ朝の攻撃により西ゴート王国が滅亡すると、ダマスカスのカリフから派遣されたウマイヤ朝のアミールによって要塞が再建されました。
アッバース朝の攻撃によりウマイヤ朝が滅亡すると、迫害から逃れたウマイヤ朝の一族であるアブド・アッラフマーン1世の後継者たちは、コルドバでカリフ権を宣言し、西ゴート時代の要塞を王宮として使用しました。

キリスト教徒の王たちのアルカサル

1236年、レコンキスタが本格化し、コルドバがキリスト教勢力の手によって陥落すると、1386年、アルフォンソ11世がかつての要塞跡にアルカサルの建設を始めました。
ムーア人が建設したムデハル様式のアルカサルの部分は、戦利品として司教、貴族、カラトラバ騎士団に与えられましたが、アルフォンソ11世はほんの一部を保存したに過ぎず、イスラーム時代の構造を多く残しています。

キリスト教徒の王たちのアルカサル

エンリケ4世は、10代の時に異母弟アルフォンソの反乱に巻き込まれ、アルカサルもその反乱に巻き込まれました。
反乱の間に、アルカサルの防御設備は弾薬の使用に対処できるように改装されました。
「異端審問の塔」と呼ばれるアルカサルの主塔が建設されたのも、この時代です。

エンリケ4世の後を継いだ異母妹イサベル1世とフェルナンド2世夫妻(カトリック両王)は、アルカサルをスペインでの異端審問の場とした他に、グラナダに首都を置くナスル朝の攻撃拠点として用いました。
1483年には、ナスル朝の最後の王であるボアブディルがアルカサルに監禁され、ナスル朝がスペインに対して従属することを約束するまで続きました。

1489年、ボアブディルが再度スペインに対して反旗を翻すと、スペイン軍はグラナダに兵を進め、1492年にレコンキスタは完了しました。
この年アルカサルでは、後にアメリカ大陸を「発見」したクリストファー・コロンブスとカトリック両王の謁見が行われています。

アルカサルは、ナポレオン・ボナパルト支配に反発する民衆蜂起で勃発したスペイン独立戦争がイベリア半島を戦火で包んだ時も、要塞として機能し、終戦後の1821年、アルカサルは刑務所となりました。
1950年代に、アルカサルは観光拠点、国家のモニュメントとして生まれ変わりました。

キリスト教徒の王たちのアルカサル

庭園は圧巻で、幾何学的に整えられた水路や噴水、オレンジの木々が並ぶ「諸王の散歩道」には、歴代の王の像が静かに佇み、訪れる者に歴史の重みを感じさせる場所となっているそうです。
屋内にはローマ時代のモザイクも展示されており、コルドバの人気観光地の1つだそうですが、残念ながら外から眺めるだけでした。

コルドバ歴史地区は1984年に世界遺産に登録され、1994年に拡張されています。

世界遺産

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