プラド美術館

プラド美術館

プラド美術館(Museo Nacional del Prado)に来ました。

本館にあたる「ビリャヌエバ館」は1785年にカルロス3世の命によって、フアン・デ・ビリャヌエバ(Juan de Villanueva)が自然史博物館として設計されました。
16世紀のカール5世からフェリペ4世にかけて、イタリアやフランドルの絵画を中心に収集され、17世紀末には5500点以上に達したスペイン王室の美術コレクションを公開するために、1819年11月19日にフェルナンド7世とイサベル王妃によって「王立美術館」として開館しました。
1868年に「プラド美術館」と改称されました。
1936年から1939年にはパブロ・ピカソが館長を務めています。

プラド美術館

入口は近代的な建物でしたが、中はまるで宮殿!
日本の美術館とは規模が違い過ぎます!

100室以上の展示室があり広すぎる為、ガイドさんが絶対に外してはいけないポイントのゴヤ、エルグレゴ、ベラスケスなどの作品を案内してくれます。

館内は撮影禁止です。

プラド美術館 内部

プラド美術館にはおよそ8000点超の油彩画、約1000点の彫刻、約4800件の版画、約8200件素描、さらに美術史に関する多くの書類が収蔵されています。
しかし、絵画作品は約1400点しか公開されていません。
他の美術館や研究所へ貸与中のもの以外の作品は保管庫にあるそうです。

有名な作品は以下です。

<スペイン絵画>

「ラス・メニーナス」
作者  ディエゴ・ベラスケス
製作年 1656年
種類  油彩
寸法  318 cm × 276 cm (125 in × 109 in)

『ラス・メニーナス』の舞台はフェリペ4世のマドリード宮殿の大きな一室です。
人物像のうち、幾人かはカンバスの中から鑑賞者の側に向かって注意を向け、残りの幾人かが互いに交流しています。
幼いマルガリータ王女を取り囲んでいるのは、お付きの女官、侍女、目付役、2人の小人と1匹の犬です。
彼らの背後には、大きなカンバスに向かうベラスケス自身が描かれており、ベラスケスの視線は絵の中の空間を超え、絵の鑑賞者自身の立ち位置の方向に向けられています。
背景には鏡がかかっており、王と王妃の上半身が映っています。
王と王妃は、絵の外(鑑賞者の立ち位置と同じ場所)に立っているように見えますが、王と王妃の像はベラスケスが作製中の作品が映し出されたものだと考えている研究者もいます。

ラス・メニーナス

「皇太子バルタサール・カルロス騎馬像」
作家  ディエゴ・ベラスケス
製作年 1635年
種類  キャンバス上に油彩
寸法  209 cm × 173 cm (82 in × 68 in)

スペイン国王フェリペ4世と王妃イサベル・デ・ボルボンとの間に生まれた皇太子バルタサール・カルロスをモデルに1635年に制作したキャンバス上の油彩画です。
元々は1635年頃、ほぼ竣工したブエン・レティーロ宮殿内の諸王国の間を装飾するために制作された作品のうちの1点です。

皇太子バルタサール・カルロスは当時6歳であるが、スペインの未来を見据えて「諸王国の間」を支配し、王位継承者として期待と希望をになっていることが伺えます。
しかし、この11年後の1646年、玉座を継ぐことなく皇太子は不意の病 に倒れ、17歳の誕生日を目前にして世を去ってしまいました。

皇太子バルタサール・カルロス騎馬像

「カルロス4世の家族」
作者  フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1800年
種類  カンバスに油彩
寸法  280 cm × 336 cm (110 in × 132 in)

ゴヤが描いた多数の肖像画を集約的にまとめた集団肖像画で、彼が制作した最も複雑な構成をもつ作品のひとつです。
左から

  1.  カルロス・マリア・イシドロ (1788–1855) – 王の次男
  2. フランシスコ・デ・ゴヤ
  3. フェルナンド7世 (1784–1833) – 王の長男(当時はアストゥリアス公=皇太子)
  4. マリア・ホセファ (1744–1801) – 王の姉
  5. マリア・アントニア・デ・ナポレス
  6. マリア・イサベル (1789–1848) – 王の娘
  7. マリア・ルイサ (1751–1819) – 王妃
  8. フランシスコ・デ・パウラ (1794–1865) – 王の末息子
  9. カルロス4世 (1748–1819) – 王
  10. ドン・アントニオ・パスクアル (1755–1817) – 王の弟
  11. カルロータ・ホアキーナ (1775–1830) – 王の長女
    *アントニオ・パスクアルの亡妻マリア・アマリアという説も有
  12. ドン・ルイス・デ・パルマ (1773–1803) – 王の娘婿
  13. カルロス・ルイス (1799–1883) – パルマ公夫妻の子(王の孫)、後のパルマ公
  14. パルマ公妃マリア・ルイサ (1782–1824) – 王の娘
カルロス4世の家族

「裸のマハ」
製作年 1797年-1800年頃

「着衣のマハ」
製作年 1800年-1805年頃

作者  フランシスコ・デ・ゴヤ
種類  キャンバスに油彩
寸法  97 cm × 190 cm (38 in × 75 in)

西洋美術で、初めて実在の女性の陰毛を描いた作品と言われており、当時のスペインでは問題になりました。
この絵が誰の依頼によって描かれたかを明らかにするために、ゴヤは何度か裁判所に呼ばれましたが、口を割ることはありませんでした。
『裸のマハ』『着衣のマハ』の2点ともに、首相であったマヌエル・デ・ゴドイの邸宅から見つかっているため、ゴドイの依頼を受けて描かれたものと言われています。
裁判の後、絵は100年弱の間プラド美術館の地下にしまわれ、公開されたのは1901年だそうです。
マハ(maja)とは、「小粋な女(マドリード娘)」という意味のスペイン語であり、人名ではありません。

裸のマハ

着衣のマハ

「1808年5月3日 マドリード」
作者  フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1814年
種類  キャンバスに油彩
寸法  266 cm × 345 cm (105 in × 136 in)

本作は連作になっており『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』の後、1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてマドリード市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描いた作品です。
『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』という別名もあります。

1808年5月3日 マドリード

「我が子を食らうサトゥルヌス」
作者  フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1819-1823年
種類  キャンバスに油彩
寸法  146 cm × 83 cm (57 in × 33 in)

ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノス)が将来、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き、5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承をモチーフにしており、自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれ、伝承のように丸呑みするのではなく自分の子を頭からかじり、食い殺す凶行に及ぶ様子がリアリティをもって描かれています。
これを描いた77歳の時、ゴヤは病により聴覚を失っていたそうです。
連作「黒い絵」の中の一点です。

これより以前にルーベンスも同じ伝承をモチーフとする『我が子を食らうサトゥルヌス』を描いています。

我が子を食らうサトゥルヌス

個人的に、この絵は苦手…
神話がモチーフとはいえ、怖すぎます。
そしてゴヤの様々な作風の作品に驚かされました。

「聖三位一体」
作者  エル・グレコ
製作年 1577-1579年
種類  キャンバス上に油彩
寸法  300 cm × 179 cm (120 in × 70 in)

ギリシャ・クレタ島出身であるエル・グレコは、1567年にヴェネツィアに渡り、その後ローマにも滞在してイタリアで美術の研鑽に励みました。
そして、1576年後半、35歳の時にローマのアレッサンドロ・ファルネーゼの宮殿で親交のあったスペイン人聖職者で、トレド大聖堂参事会長を父に持つルイス・デ・カスティーリャの進言によってスペインに渡りました。
当時、スペインでは国王フェリペ2世によりエル・エスコリアル修道院の装飾事業にイタリア人画家たちが招聘されていました。
スペイン到着後まもない1577-1579年に、エル・グレコはこの『聖三位一体』を含むサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立と、トレド大聖堂の『聖衣剥奪』の受注を受け、スペイン・トレドで衝撃的なデビューを果たしました。
祭壇衝立がヨーロッパでもっとも発達したスペインにおいて、その制作を委嘱されるということは将来の保証を得ることでもありました。

聖三位一体

<フランドル絵画>

「快楽の園」
作者  ヒエロニムス・ボス
製作年 1503年-1504年(他説あり)
種類  油彩
寸法  220 cm × 389 cm (87 in × 153 in)

この三連祭壇画は板に油彩で描かれたもので、長方形の両翼を閉じると中央パネルを完全に隠す三面鏡のような構造になっており、両翼裏面それぞれに半円ずつ描かれた天地創造の地球が描かれています。
左翼には神がアダムにイヴを贈る場面、中央パネルには猥雑で人目を引く裸体の人物、空想上の動物、巨大な果物、石などが積み上げられた構造物などの広大な情景、右翼には地獄で拷問を受ける罪人などがそれぞれ描かれています。

快楽の園

「三美神」
作者  ピーテル・パウル・ルーベンス
製作年 1630年-1635年
種類  油彩、オークのパネル
寸法  220.5 cm × 182 cm (86.8 in × 72 in)

古典的な三美神の彫刻に基づいており、ギリシア神話のゼウスとエウリュノメの間に生まれた女神カリス「アグライア(輝き)・エウプロシュネ(喜び)・タレイア(花)」を表していますが、この三美神は神話とは異なり、晩年の作品に浸透している、官能性・活力・喜びが具現化されているとされています。
顧客の注文ではなく画家の個人的な創作意欲によって制作された作品で、ルーベンスの晩年を代表する作品の1つです。
画面の左端と右端には木と噴水が立ち、その間に花輪が掛けられて、女神たちの頭上を飾っています。
噴水にはコルヌコピア(豊穣の角)に抱きついたキューピッドの像があり、下を向いた角の口から流れ落ちた水が後景を流れています。
背景には北方の田園風景が広がり、シカの群れが描かれています。

三美神

「ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム」
作者  ダフィット・テニールス
製作年 1651年
種類  油彩、銅板
寸法  104.8 cm × 130.4 cm (41.3 in × 51.3 in)

1647年から1656年にかけてスペイン領ネーデルラントの総督であったハプスブルク家の大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒがブリュッセルで公開した膨大な絵画コレクションの展示風景の1つを描いた作品で、テニールスは大公のために同様の作品を10点制作しました。
これはそのうちの1つとして、スペイン国王フェリペ4世に贈呈するために制作されたものとされています。

ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム

<イタリア絵画>

「受胎告知」
作者  フラ・アンジェリコ
製作年 1425-1428年頃
種類  板上にテンペラと金
寸法  154 cm × 194 cm (391 in × 493 in)

この作品は、フラ・アンジェリコが修道士だったフィエーゾレのサン・ドメニコ修道院の側廊礼拝堂のために描かれました。
ドミニコ会の聖人とともに座した聖母子 (1425年頃) を表す主祭壇画『フィエーゾレの祭壇画』 (サン・ドメニコ修道院) と、現在ルーヴル美術館にある『聖母戴冠』(1434-1435年頃)と共に奉納されました。

『受胎告知』は1611年までサン・ドメニコ修道院にありましたが、スペイン王国に売却され、マドリードに運ばれました。
プラド美術館に移るまではマドリードのデス・カルサス・レアーレス修道院に置かれていました。
裾絵には、聖母マリアの生涯からの5つの場面 (誕生と結婚、エリザベト訪問、東方三博士の礼拝、神殿奉献、聖母の死) が描かれています。

受胎告知

他にもフランス、ドイツ、オランダ絵画などもありましたが、詳しい案内(説明)はありませんでした。
1時間くらい自由時間が出来たので、気になったけど観れていなかった作品や展示室を観にダッシュしましたが、とにかく広いので大変でした。
ホセ・ラファエル・モネオ設計により2007年に増築されたヘロニモス館(新館)にショップとカフェテリアがあったので、急いでショップに行き美術書を購入しましたが、かなりの厚さなので帰りの飛行機の荷物の重量問題で大変なことになりました(笑)

プラド美術館

プラド通りとブエン レティーロ、芸術と科学の風景は2021年に世界遺産に登録されました。

世界遺産

スペインツアーの旅行記はこちら⇒ゆっきー旅行記~スペイン編~


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