サンタ・レオカディア教会(Iglesia de Santa Leocadia)です。
トレドの守護聖人である聖レオカディアに捧げられた教会で、12世紀初頭から巡礼地として人々の信仰を集めてきました。
ムデハル様式(イスラム建築とキリスト教建築の融合)が顕著で、13世紀の塔はイスラムのミナレットを思わせるデザインとなっています。
内部には新古典主義の祭壇があり、聖人や宗教画家による作品で飾られています。
現在のムデハル様式のサンタ・レオカディア教会は、トレドの聖女が住んでいた家の上に建てられています。教会の主祭壇のすぐそば、地下には今も空間が残っており、そこは聖女が長時間祈りと苦行を行っていた部屋でした。
サンタ・レオカディア教会には次のような伝説があります。
紀元4世紀頃、ローマ帝国がイベリア半島を支配しており、トレドの地にプブリオ・ダキアーノが総督として任命されました。彼は、皇帝を神として認めないキリスト教徒を迫害・服従させるという明確な目的を持ってヒスパニアにやって来ました。到着から数日後、新しい総督は厳しい勅令を発布し、キリスト教徒を法の外に置き、迫害と投獄を命じました。
迫害が始まり、ローマ時代のトレドの多くの住民が「ロカ・タルペヤ」と呼ばれる牢獄に連れて行かれ、そこで孤立したまま、死の時を待ちながら、最終的にはタホ川へと続く崖から投げ落とされました。
次第に、皇帝とその宗教を受け入れようとするキリスト教徒の「抵抗」は衰えていきましたが、ある日、ダキアーノの密偵が、エリアの娘たちの修道院で教育を受けた若い女性レオカディア(「白い女性」を意味する)が、キリスト教の神に祈りを捧げ、信仰のしるしを公然と示していると報告しました。若い女性は捕らえられ、総督府近くの地下牢に連れて行かれました。拷問者たちは、彼女の信仰を皇帝の望む形に変えようとあらゆる手段を尽くしましたが、彼女は神への祈りをやめず、ついには残酷に鞭打たれ、瀕死の状態で牢に放置されました。
303年から306年の間の12月9日の夜、牢獄の見張りたちは、超自然的な音を聞き、若い女性が閉じ込められていた牢から強い光が放たれているのを目撃しました。恐怖のあまり、翌朝まで誰も近づかず、朝になって牢に入ると、そこには硬直したレオカディアの遺体が残されていました。
この出来事を知ったダキアーノは、他の都市と同様に、遺体を埋葬せずに放置するよう命じました。遺体は、タホ川の右岸近く、廃墟となった異教の神殿の裏手に運ばれ、放置されました。
夜になると、キリスト教の信仰を密かに守っていたトレドの住民たちが、遺体が捨てられた場所に向かい、レオカディアの遺体を埋葬しました。彼らは石を積み上げて小さな墓を築き、ローマ支配の長い年月の間、夜の闇の中で多くの人々がこの場所に祈りを捧げ、若き聖女レオカディアの魂を偲びました。この記憶は世代を超えて語り継がれました。
その後、コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によってキリスト教がローマ帝国で公認されると、4世紀頃、遺体が埋葬された場所に教会が建てられました。これはトレドに建てられた最初の教会であり、ビシゴート王シセブトの治世下、618年頃にはバシリカに昇格しました。この場所では有名なトレド公会議が開催され、トレドの大司教エラディオ、エウヘニオ、イルデフォンソ、フリアンらが埋葬されました。
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