麻布十番にある善福寺です。
大銀杏が有名なお寺です。
今日は天気が良いので、お昼時間に散策に出てみました!
余談ですが、後方の元麻布ヒルズの最上階には、某自動車会社の有名社長がお住まいだとか…
本当に住んでいるのか、真偽不明のウワサですが。
(*この時は数年後にあんなことになるとは思っていませんでした…)
麻布山善福寺は、平安時代の天長元年(824年)、唐に渡り真言を極めて帰国した弘法大師によって、真言宗を関東一円に広めるために高野山に模して開山されました。
都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院と言われています。
鎌倉時代になると、7歳で仏門に入り弱冠17歳で比叡で顕密二法を修めた俊英の僧であった麻布山善福寺の了海上人は、流されていた越後から京に上る途中に訪れた親鸞聖人の高徳に傾倒して、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗しました。
蒙古の二度にわたる来襲に際して、文永3年(1266年)に亀山天皇から勅願寺とされました。
安土桃山時代の浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い(石山合戦)では、大阪石山本願寺に籠城する僧に援軍を送りました。
乱後、豊臣秀吉は関東を平定すると、天正18年(1590年)に寺領保護を誓約しました。
江戸時代、三代将軍徳川家光は、甲吉豊後守に命じて当時の建築の粋を集めて本堂を建立し寄進しました。
安政6年(1859年)5月27日、タウンゼント・ハリスがアメリカ駐日公使に昇任したことを幕府に伝達すると、初代アメリカ合衆国公使館としてハリスと館員たちを迎えました。
しかし、攘夷を唱えるひとびとの襲撃を受け、庫裡、書院などは焼失。
それでも僧たちの機転によって身をもって公使館員を守り日米の友好の絆を深めました。
その当時から三井物産創立者である益田孝氏、古河財閥創業者の古河市兵衛氏、慶應義塾創立者の福澤諭吉氏といった人々が頻繁に訪れるなど、明治8年(1875年)12月8日までアメリカ合衆国公使館として使用されました。
昭和20年(1945年)5月、米軍による大空襲で伽藍を失いましたが、昭和36年(1961年)、徳川家康が建立した東本願寺八尾別院本堂を譲り受け本堂として再建完成させました。
平成20年(2008年)には、本堂の大改修を行っています。
翌平成21年(2009年)には、江戸時代の大規模な浄土真宗の本堂をよく示す都内有数の建造物として港区の有形文化財に指定されました。
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