若宮大路を歩いていると、アガパンサスが咲く石畳の路に魅かれて長慶山 正覺院 大巧寺へ。
日蓮宗系の単立寺院で、旧本山は、比企谷妙本寺。
大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった。
創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。
この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。
文永11年(1274年)、日澄により日蓮宗に改宗する。
これに基づき現在では開山を日澄としている。
元応2年(1320年)、2月に現在地へ移転した。
大巧寺は別名「おんめさま」とも呼ばれ、安産祈願の寺として知られています。
「おんめさま」とは「お産女様」(おうめさま)が訛った言葉で、境内に祀られている「産女霊神」を指していますが、それにはまつわる話が言い伝えられています。
産女霊神縁起
大巧寺5世住職の日棟は毎朝、比企谷妙本寺に勤経を上げに行っていたが、天文元年(1532年)4月8日(新暦5月13日)の夜明け前、滑川加能橋の陰に下半身血まみれの女が泣いているのに気づいた。
日棟が女に対し「どこの誰で、何故このような所をさまよっているのか」とたずねたところ、女は「大倉」の住人 秋山勘解由の妻で難産により死んだこと、死出の旅路に迷い成仏ができない事を訴えた。
哀れに思った日棟が女に対し法華経を読経すると、いつのまにか女はいなくなってしまった。
3日後、日棟の前に再度女が現れた。
日棟の読経により成仏できたことに礼を述べ、金銭を差し出した上で、夫の秋山勘解由に経緯を伝えて欲しいこと、宝塔を建立し供養して欲しいこと、供養してくれれば法華経の恩返しとして妊娠した女が安産するよう尽力することを伝えた。
日棟が「産女霊神」として女を祀り、五輪塔を立てることを約束すると女は礼を言いかえっていった。
この事を秋山勘解由に伝えると勘解由はとても驚いたが、また日棟が妻を成仏に導いてくれたことがわかると感謝し、早速師壇の契りを結び五輪塔建立に力を貸した。今境内にある「産女宝塔」はこの時に建立されたものである。
アガパンサス、ボタンクサギ、イモカタバミ、ヒオウギズイセンなどが咲く道を進むと、本堂脇を抜けて小町大路へ抜けることが出来ました。
鎌倉駅からも徒歩3分のところに、こんな素敵なお寺があるとは知りませんでした。
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