臨済宗建長寺派 扇谷山海蔵寺に来ました。
扇ガ谷の最奥にある深い緑に囲まれた臨済宗建長寺派のお寺です。
山門
四脚門。
修理時に台輪(柱上に渡す水平材)から応仁2年(1468年)の墨書が発見されたが、現在の門は大部分の材が江戸時代のものとなっている。
門前には底脱ノ井(鎌倉十井)があったようなのですが、通過してしまいました。
建長5年(1253年)、宗尊親王の命により、藤原仲能が本願主となって真言宗のお寺として創建されました。
しかし、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡の際、兵火によって七堂伽藍が焼失してしまいました。
応永元念(1394年)に第二代鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が禅宗寺院として再建しました。
開山は謡曲『殺生石』で有名な心昭空外(源翁禅師)で、以後扇ガ谷上杉氏に外護されました。
寛政3年(1791年)の境内図によると、主な伽藍配置は現在とほぼ同じで、塔頭七ヵ院とともに描かれています。
本堂と薬師堂の間を進むと、十六の井へ続く道があります。
岩を掘った洞窟のようなところを通ったり、ちょっと探検気分でしたが、人がいないと暗いしだんだん不安になりました(笑)
十六の井
「十六井戸」とも。
薬師堂裏手の岩窟内にある。
岩窟の床面に縦横各4列、計16の丸穴があり、水が湧き出している。
井戸ではなく、納骨穴とも、十六菩薩になぞらえたものとも言うが、正確なことは不詳である。
岩窟の正面奥壁には観音菩薩像と弘法大師像を祀る。
他に嘉元4年(1306年)銘の阿弥陀三尊像板碑が壁面に安置されていたが、鎌倉国宝館に寄託されている。
紫陽花と春なのに紅葉した木がありました。
「花の寺」とも「水の寺」とも呼ばれているのがわかるお寺でした。
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