御柱祭とは7年に一度、寅と申の年に執り行われる神事「式年造営御柱大祭」のことを言います。
その歴史は古く、室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献には、「寅・申の干支に当社造営」が平安初期にすでにあったという記録が残されており、1200年以上も続く神事です。
“御柱”となるのは樹齢150年、17メートルを優に超える選ばれた16本のモミの大木だけ。
それを人の手で里に曳き出し、諏訪大社の社殿の四隅に建てます。
御柱祭は大きく分けて「山出し」と「里曳き」の2つの日程で行われます。
まず4月に行われるのが、神林で伐採された御柱を里へと運ぶ「山出し」です。
揃いの法被・腹掛け姿の氏子たちが集まり、厳粛な出発の神事の後、木遣り衆の声を合図にして、3日間の山出しがはじまります。
御柱祭の木落としを見に来ました。
諏訪大社は上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)があります。
上社と下社では山出しと里曳きの内容が違います。
今回も7年前と同じく、下社の木落しを見に来ました。
木落し
下社山出し最大の難所は最大斜度35度の木落し坂です。
足がすくむほどの急斜面が約100mも続く木落し坂の上に進んだ御柱がじりじりと崖の上へ。
氏子と観衆の緊張が最高潮に達した瞬間、斧取衆によって追掛綱が切られると、御柱は煙を上げて轟音と共に猛然と坂を滑り下ります。
木落しは、曳行開始と同じ順番で行われ、最も太い秋宮一の柱が最後を飾ります。
国道142号を歩いて木落し坂に向かうのですが、近付くと全く進まなくなりました。
観覧席の入口が木落し坂の少し先にあったのですが、その手前で完全ストップ。
恐らく1本落ちれば人が入れ変わるだろうと思い、1本目の柱が落ちるのを待ちました。
結局、本日の1本目が落ちたのは11時過ぎ。
1時間半くらい待ちました。
予想通り帰る人がいたので、観覧席に移動しました。
やっと座れたので何か買い出しに行きたいのですが、観覧席の中も身動き出来ないくらい大混雑です。
とりあえず1回お手洗いに行きました。
次の柱の準備が始まったのは12時過ぎ。
少しずつ人が下りて来て、木遣り唄も時々聞こえます。
まあ、ここからが長いのです。
旗印が下りて来たのが13時。
今か今かとカメラを片手に待ちます。
2本目の柱が落ちたのは13時20分でした。
動画撮影していたのですが、圧縮エラーになってしまい、残念ながらUP出来ませんでした。
2本目の柱は途中何回か止まってしまい、人だけが転がり落ちたりして、柱の全体があまり見えませんでした。
最後まで見ようかとも思ったのですが、3本目は何時になるのかわからず…
前日は土曜日だったこともあって21時近くでしたが、さすがに日曜なのでそこまで遅くはならないと思うのですが、東京に帰らなければならないので諦めました。
国道142号を歩いて坂を下っていると、先ほど木落し坂から落した木が曳かれています。
人が多くて進めないので、川を渡った対岸の道を歩くことにしました。
おかげで御柱が曳行されているのが良く見えました。
注連掛(しめかけ)
山出しの最終地点。木落し坂を下った御柱は、その日のうちにこの地に曳きつけられます。
厳粛な注連掛祭の後、氏子たちの万歳の声と共に山出しの3日間は終了し、5月の里曳きまで静かに注連掛に安置されます。
注連掛に到着しました。
昨日と、本日1本目に落した木が置かれていました。
里曳き
山出しからおそよ1か月後、新緑がまぶしい5月に行われるのが「里曳き」です。
この「里曳き」は豪壮な「山出し」とは対照的な華やかな雰囲気。
騎馬行列や花笠踊り、長持ち行列など華麗な時代絵巻が繰り広げられ、沿道に集まる見物客の中を大勢の氏子と御柱はゆっくり各社へと向かいます。
各神社の境内に着いた御柱は柱の先端を三角錐に切落とす冠落しを行って、御神木としての威厳を正し、社殿の四隅に曳き建てられて神となります。
木落し坂から下社秋宮までは3.6㎞、通常であれば徒歩47分です。
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