日光東照宮は、元和3年(1617年)に2代将軍徳川秀忠公が、家康公を御祭神にお祀りするために建てた神社です。
静岡にある久能山東照宮より元和3年4月15日に移されました。
現在の主な社殿群は、3代将軍家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです。
幼少期に久能山東照宮も行ったことがあるのですが、当時は家康公のお墓とか全くわかっていなかったです。
いちご狩りがメインだったので仕方ありませんが(笑)
一の鳥居と表門をくぐると開けた場所に出ました。
正面には三神庫(上神庫・中神庫・下神庫)。
上神庫の妻には狩野探幽作といわれる2頭の象の彫刻がありました。
ちょっと実在する象と違うと思ったら、探幽は象を見た事が無く、想像で描いたからだそうです。
三神庫の反対には有名な三猿のある神厩舎がありました。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が有名ですが、実は人の一生が8面16匹の猿に表されていて、そのうちの第2面が三猿にあたります。
そもそも神厩舎は神馬をつなぐための厩で、猿の彫刻が施されているのは、猿は馬の健康を守ると言われているからなんだそうです。
二の鳥居をくぐって石段を上ると陽明門です。
陽明門は家康公の遺言により1617年に秀忠公の発願、僧侶・南光坊天海の指揮によって完成しました。
小さかった門を家康公の21回忌にあたる1936年に家光公が大改修を行い、江戸城を手掛けた名棟梁・甲良豊後守宗廣と天才絵師・狩野探幽の手によって、現在の豪華絢爛な姿に生まれ変わりました。
中国の故事に由来する聖人賢人や子供などの人物が156体、唐獅子、龍、鳳凰などの霊獣なども合わせると508体もの彫刻があり、それぞれに意味があるんだそうです。
陽明門の左右には、門の守護神である随身像が安置されていますが、モデルが誰なのかなど、詳しいことはわかっていないそうです。
裏側には唐獅子の像がありました。
更に通路には狩野探幽の作と伝えらる国宝の「八方睨みの龍」という昇り龍が北側に、「四方睨みの龍」という降り龍が南側にありましたが、傷みが激しかったことから、現在はレプリカになっているそうです。
陽明門の左右には廻廊があります。
本堂を取り囲むようにコの字型に作られており、国宝に指定されています。
1枚板をくり抜いた透かし彫りで、これも狩野探幽が下絵を作成しています。
胴羽目板には花鳥や動物、腰羽目板には水鳥や水辺、欄間には空に浮かぶ雲などが描かれています。
1枚ずつ見ていたら、それだけでもかなりの時間がかかります。
東回廊の奥宮への入口に左甚五郎作の「眠り猫」がありました。
牡丹の花に囲まれ、日の光を浴びて居眠りしている…「日光」に因んだとか?
裏には竹林に遊ぶ2羽の雀の彫刻があります。
猫と雀が表裏にあることから、平和を象徴しているとも言われているそうです。
余談ですが、「甚五郎煎餅」というバターがたっぷり効いたお煎餅、お土産にオススメです。
奥社参道の階段を上ると、奥宮がありました。
拝殿・鋳抜門・御宝塔からなる御祭神(家康公)のお墓所です。
東照宮に来たからには、ここまで来なければ…
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